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2009年11月10日 (火)
森繁久彌さんの思い出

入社間もない若かったころ。
テロップ(字幕)に「森繁久弥」と書いたら、先輩から大目玉。
「人の名前を勝手に略すんじゃないよ、固有名詞だろう。略したら別人だよ」と。
当時パソコンはなく、自分で原稿を書いて写植屋に発注していました。原稿を書くのに「彌」が書けなかったのです。

もう25年くらい前、名古屋で芝居を上演中、寿司屋でサバを食べて入院。
芝居は休演に。
東京から駆けつけた長男の泉さんが病室へ入ると
「あなた様は、どなた様でしたか?」と。
泉さんが記者に「親父はヤバイ」と。
東京から大挙して取材陣が出かけました。ボクは、ワイドショーをやっていたので、
スタッフを派遣しました。
“ボケ”は芝居だったのです。数日後、元気になって退院されました。
(泉さんは、すでに故人です)

民間放送教育協会の何周年かのイベントに講演を依頼しました。
20年くらい前の話。
事務所から「講演料は現金でお願いします。喜びますから」と言われ、現金をお渡ししました。封筒の厚みを確かめながら嬉しそうにポケットに仕舞われたのを覚えています。現金が好きだったのです。誰でもそうですが。
淀川長治さんも現金が好きで、出演料は現金でお支払いしていたと聞きました。

「徹子の部屋」へ出演されたとき、楽屋で黒柳徹子さんの手を握り、その手をさすりながら「芸能界で、肉体関係がないのはあなただけですよ」と。
「あーら、それは残念」と応酬。
何年か後に、また同じシーンが繰り返されたのを見て、笑いました。
枯れた老優の挨拶です。

シリアスも滑稽さも兼ね備えたインテリ俳優でした。
後を嗣ぐ俳優はだれか、と芸能界を見渡しても、誰もいません。
ご冥福をお祈りします。


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