« 収録終了 | トップページ | 茶葉のセシウム »

2011年5月17日 (火)
児玉清さん死去

児玉清さんが胃がんで死去されました。77歳。

1970年頃ではないかと思います。テレビ朝日(当時NETテレビ)に「土曜ショー」という番組があって、児玉清さんが司会で、ボクがディレクターでした。
お互いに若かったから、議論し喧嘩をしました。
テレビ放送が始まってから間がなく、テレビが社会の中でどのような役割を果たすのか、手探りで番組を作っていました。
その番組は、ボクが激しい番組を作りすぎて、つぶれました。その後、ご無沙汰していましたが、5年くらい前、懐かしいから会いましょう、と連絡をもらいましたが、迷惑をかけたあの頃のことが恥ずかしくて、勇気がでないままになってしまいました。
残念です。

ネットを検索していたら、当時の「土曜ショー」がどんなことをやっていたかデータがありました。
恥ずかしいのですが、転載します。文中にある配置転換されたディレクターというのはボクのことです。(ウィキペディアより)

当時としては絶対タブーの話題を取り上げるなど硬派の報道番組となり、郵政省(現在は総務省)が問題視するほどの番組となっていった。そして1972年8月12日に放送された「禁止!禁止!それでも歌う!!」が仇となり、同年9月30日を最後に当番組は打ち切り、担当ディレクターは配置転換されてしまった。
「禁止!禁止!それでも歌う!!」
1972年8月12日に放送された「禁止!禁止!それでも歌う!!」は土曜ショーの打ち切りを決定的としたもので、その内容は「特定の歌を自主規制コードを作って放送禁止にしている業界のナンセンスぶりを皮肉ることで表現の自由について考えよう…」というものであった。しかし、この日出演したフォーク歌手の泉谷しげるが暴走し、すでに禁止となっている「戦争小唄」を一部歌詞を変えて歌い、さらに放送禁止歌を審議する日本民間放送連盟の放送音楽審議会の関係者の目前で(この時点ではまだ禁止に指定されていなかった)「先天性欲情魔」を歌った。しかも生コマーシャルに対して「くだらねぇ!!やるんじゃねぇ!!!!」と暴言を吐いた上、その商品を(岩波書店発行のブックレット№357「戦後史に見るテレビ放送中止事件」によると、その商品は「鶏肉の缶詰」(焼き鳥)だったという)「うめぇわけねぇだろぉっ!」と罵倒し、スタジオを凍りつかせた(「ディレクターは左遷され、泉谷しげるも出演禁止になった。結局これが引き金となって同年9月30日に打ち切りとなり、最終回のタイトルは「ああ、愛しき哉テレビジョン」という、民間放送各局の問題番組のディレクターを集めた座談会だった(この内容も相当物議を醸した)。

この時の司会者が、児玉清さんだったと記憶しています。
番組が消滅し、二人は別れ別れになったままになりました。
ご冥福をお祈りします。

「追記」
泉谷しげるは、激しいメッセージソングが得意ですが、音楽史の残る名曲もあります。
「春夏秋冬」
競演が豪華なバージョンをYoutubeから選びました。

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/505418/51698040

この記事へのトラックバック一覧です: 児玉清さん死去:

コメント

やるじゃないですか、田川さん!!

今回もどこかで東電のバカやロー、
政府の嘘つきヤローとか言ってくれる人が、
出てこないのでしょうか。

そうそう、
泉谷さんに「へび女」という名をつけてもらったことがあります。

投稿: 椎名由紀 | 2011年5月18日 (水) 11時16分

もうご存知かもしれませんが
TIMERSが夜のヒットスタジオに出演した時のものがyoutubeにアップされています
プロデューサーは飛ばされたんでしょうか
youtube「timers 夜のヒットスタジオ」で検索

投稿: kubota | 2011年5月18日 (水) 16時05分

kubotaさん、
見ました。すごいことがあったんですね。
生放送で想定外のことが起こったら、どうするか、テレビ局には、マニュアルはないと思いますね。音声を絞ったりできたでしょうが、ディレクターもグルだったのかも知れませんね。

投稿: ねこ屋亭主 | 2011年5月18日 (水) 22時46分

このときのサブの様子が見たかった

カット割りされているし出演者も抜いているしでほんとにグルだったのかもしれませんね

音声を絞ったり、しばらくお待ちください画面にできたでしょうから・・・

投稿: kubota | 2011年5月19日 (木) 11時39分

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。