ひとびと
2024年9月 8日 (日)
今日のこと
早朝、部落のクリーン作戦に参加して、道路脇の草刈りをした。
日曜日の朝は、TBSの「サンデーモーニング」を見るのが習慣だったが、司会者が関口宏から膳場貴子に変わって見なくなりました。
膳場貴子が、なぜか嫌いだからです。
理由は、多分、言葉が肉体化していないからだと思います。
総裁選も、使う言葉が、心からそう思っているのか、ウケを狙って使っているのか、よくわかるので、人物判断ができます。
ついでにボクが嫌いな人物は、菊川怜、丸川珠代。東大卒にヤキモチを焼いているわけではない、使う言葉が軽すぎるからだ。
言葉には重さがある。自分の体重が乗っている言葉には迫力がある。重さとは、自分の体験や信念だ。
「言葉の重さ」を尺度に政治家を観察するのも面白い。
2024年9月 1日 (日)
島田洋七さんの人生
洋七さんから電話がありました。
「そのまんま東がインタビューさせてくれと言って来たので、喋りました。彼はたけしの弟子だし、断れなかった。1時間くらいありますが、見てください。」
以下のサイトです。人生を語り尽くしています。
佐賀の自宅の庭です。この庭にはモミジがたくさん植えてあります。もみじまんじゅうー、で世話になったからでしょう。
https://youtu.be/LcWxDo54vQQ?si=umPvRsTktyrFPBDa
2024年8月20日 (火)
黒柳徹子さん情報
今年も芝居をやります。
コンサートもやります。
「ハロルドとモード』(朗読劇)
東京と大阪で。
https://haroldandmaude.jp
「徹子の部屋コンサート」(武道館)
https://www.tv-asahi.co.jp/event/renew/contents/0219/
この元気さは、どこから?
ボクの方が先に死ぬなぁ、と思います。
曇天でしたが、湿度が高く、気分の悪い1日でした。
2024年8月18日 (日)
今日も猛暑
暑さのせい?
1)先輩から電話。
「いやぁ、ブルーベリー、今年もありがとう。今、何処にいるの?東京?田舎?」
2)郵便振替用紙について。
「コンビニへ行ったら、バーコードがないから振り込めないと言われました。バーコードのある用紙を送ってください」
今日も猛烈な暑さです。
お昼頃、隣のおばちゃんの様子を見に行きました。
ソファーに横たわっていました。扇風機が回っていましたが、エアコンは使っていませんでした。
あまり世話を焼くのもと思って、黙って帰りました。元気でした。
2024年8月17日 (土)
思い出
昨日のこの欄で書いた、カメラマンの平間節さんのことで、思い出したことがあります。
彼のお父さんは、茨城県でお米農家でした。毎年、新米を送ってもらっていました。
「息子がアフリカへ行ったり、活躍できるようになったのは、田川さんのお陰だ」と言い続けておられたそうです。
「自分の努力でこうなった」と言っても信じなかった、と平間さんは言っていました。
お父さんの優しさが身に沁み、思い出して涙が出そうになります。
息子の活躍が嬉しかったのでしょう。幸せな人生だっただろうと思います。
思い出
昨日のこの欄で書いた、カメラマンの平間節さんのことで、思い出したことがあります。
彼のお父さんは、茨城県でお米農家でした。毎年、新米を送ってもらっていました。
「息子がアフリカへ行ったり、活躍できるようになったのは、田川さんのお陰だ」と言い続けておられたそうです。
「自分の努力でこうなった」と言っても信じなかった、と平間さんは言っていました。
お父さんの優しさが身に沁み、思い出して涙が出そうになります。
息子の活躍が嬉しかったのでしょう。幸せな人生だっただろうと思います。
思い出
昨日のこの欄で書いた、カメラマンの平間節さんのことで、思い出したことがあります。
彼のお父さんは、茨城県でお米農家でした。毎年、新米を送ってもらっていました。
「息子がアフリカへ行ったり、活躍できるようになったのは、田川さんのお陰だ」と言い続けておられたそうです。
「自分の努力でこうなった」と言っても信じなかった、と平間さんは言っていました。
お父さんの優しさが身に沁み、思い出して涙が出そうになります。
息子の活躍が嬉しかったのでしょう。幸せな人生だっただろうと思います。
2024年8月14日 (水)
千客万来
レストランエピス金子の金子和男さんが来てくれました。お盆の里帰り。しばらく雑談しました。
ひょんなきっかけで東京で出会った永田深雪さんが来てくれました。
彼女も里帰り。
岡部充くん夫婦が立ち寄ってくれました。
それぞれ、差し入れをいただきました。ありがとうございました。
神津善行さんから電話をもらいました。
メイコさんが亡くなった時、メールをしましたが、返事がなかったので、心配していました。
92歳、元気な声でした。
神津家には親子の猫がいて、親が死んだそうです。メイコさんが特に可愛がっていた猫だそうで、猫は、可愛がってくれた人を追っかけると言われ、きっと家内と一緒にいるでしょう、ということでした。
食事は娘が二人、交代で面倒を見に来てくれている、ということでした。
「また、どこかで会いましょう」と言われ、ボクも元気が出ました。
2024年7月26日 (金)
来客
2024年7月15日 (月)
今日のこと
予報に反して、雨は降りませんでした。しかし、地面は濡れているし、仕事はできないので、午前中、温泉へ行きました。
休日で混んでいました。
明日も雨予報ですが、ボツボツ農園の見回りをしようと思います。熟れ始める頃なので。
昨日、久しぶりに洋七さんが電話をくれました。
コロナ以来、講演の仕事が激減したそうです。
昨年末、田布施でやってもらった「お笑いトークショー」は山口放送が取材して放送してくれました。
その番組をもらってボクがYoutubeへアップしました。
「再生回数は7万9千回になる」と伝えたら、洋七さん、びっくりしていました。
ここです。
https://youtu.be/411hCdQvbKs
何回見ても面白い。
黒柳徹子さんのインスタを見たら、バンコクで夏休みを過ごしているとの報告がありました。
元気がいいなぁ、とびっくり。
こりゃ、ボクの方が先に死ぬな、と思いました。
2024年5月 8日 (水)
役人の傲慢さ
これはひどい。裏金どころじゃない、人権無視の暴挙だ。
水俣病被害者の発言が長いからと、マイクのスイッチを切ったそうだ。
役人は国民のために働く職業。国民を舐めている。
2024年5月 2日 (木)
ピアニストの死
フジコ・ヘミングさんが亡くなりました。
演奏をちゃんと聴いた事はありませんが、記憶している発言が二つあります。
猫が大好きで7匹くらい飼っておられたそうです。
「私は猫の餌代を稼ぐために演奏しているのです」
その猫たちは、飼い主を失って、どうしているのか、心配です。
ドイツに留学していた時、下宿代を滞納したら、大家が部屋の便器を取り外して持ち逃げしたそうです。
「私は、世界中でドイツ人が一番嫌いです」
確かに、人権を無視した、それほどひどいことをする人間は、聞いたことがありません。
ご冥福をお祈りします。
2024年5月 1日 (水)
空き家
日本全国の空き家数が900万に、という記事が今日の新聞にありました。
国や自治体の問題は、ボク個人の問題でもあるなぁと不安になります。
地域おこし協力隊の田村陽平くんに、この家を使って定住の期待をしましたが、去っていきました。
生きている間に、メドがつくか、不安です。
田舎に住みたい人いませんか?
2024年4月29日 (月)
宿泊者の感想
土曜日の夜、ボクの家に1泊した篠田さんからお礼のメールが届きました。
面白いことに気付くなぁと思うことが2件ありました。紹介します。
「後でやるから座っていなさい」とよく言われます。
黒さにビックリしたのでしょう。
夏に東京でマッサージへ行くと「なんですか!首の周りのこの黒さは」とビックリされます。
農民のことを知らないんだなぁ、と思います。
2024年4月 6日 (土)
今日のこと
ブルーベリーの剪定枝が山のように積み上がっていて、気になっていましたが、思い切って午前中に焼却しました。
焼却は勇気が入りますが、無事に終わりました。
土曜日のお昼時、生協のトラックが食品を積んでやってきます。隣のおばちゃんは、買い物に行けないから、1週間分をこのトラックから買っています。
「たくさん買ってあげないと、来なくなったら困る」と言い、大量に買い込んでいます。
豚の角煮を手に取って、ボクの顔を見てニヤリ、カップラーメンを取って、またボクの顔を見てニヤリ、どうも恥ずかしそうなので、早めにトラックを離れるようにしています。
ボクは、豆腐とあずきの缶詰、のど飴、ティッシュペーパーを買いました。
このトラックは、なかなか便利がいいです。
2024年3月31日 (日)
「世界ふしぎ発見!」
長寿番組が終わりました。
ボクしか知らない話があります。
黒柳徹子さんは、出演依頼が来たとき、自分は歴史に弱いので、その勉強ができると思って引き受けたと語っています。
大まかなテーマが事前に知らされるのだそうです。それについて、いろいろな勉強をして本番に臨みます。
黒柳さんの事務所にOさんという女性のマネージャーがいました。その人が辞める事になりました。
理由を聞きました。
「なぜ辞めるの?」
「歴史クイズに関して、黒柳さんの勉強の仕方が激しくて、図書館に行ったり、あちこちに行って資料を調べたりすのですが、無知な私には、十分にお応えすることができません。あまりにも辛いので、辞める事にしました。」
最終回の特番で黒柳さんは、「この番組が終わっても、歴史の勉強は続けます」と語っていました。
お疲れ様でした。
2024年3月29日 (金)
人と人
坂田暁子さん(左)はボクのブルーベリーを10年くらい前から購入してくれています。
友だちではありません。ネットで繋がっているだけでした。
なぜ今晩、会うことになったのか、そのワケは。
同じ職場にやって来た永田深雪さん(右)は、坂田さんに「出身はどこですか?」と聞かれたそうです。
「山口県の田布施町という町です」
「え?私は田布施町の田川さんのブルーベリーを食べています」
「え?! 田川さんには会ったことはありませんが、勝手に知っています」
この話を坂田さんから聞いたので、会いましょうと、ボクが提案しました。
ネットで想像していた坂田さんは、もっとお年寄りだと思っていました。
会ってボクが発した言葉は「若いんだ」でした。
イメージの食い違いを楽しみました。
永田さんは、昨年暮れに、田布施のボクの家を訪ねてくれたので、2度目の出会いでした。
新しい友だちが出来て嬉しい夜でした。(西麻布・エピス金子)
明日、田布施へ戻ります。
2024年3月22日 (金)
ギャンブル依存症
大谷くんの性格から、彼が肩代わりしたのではないかと思います。
大谷くんの口座から送金すれば、彼が賭博をやったと思われます。一旦、水原くんの口座へ送金して、賭け屋へは、当事者である水原くんの口座から送金するのが筋だったのではと思います。
若い頃、麻雀にのめり込んだ事があります。家へ帰らず徹マンもやりました。
朝、出社すると、まずメンバー集めです。「今晩どーう?」4人集まったら安心して仕事を始めます。
家族にバレないように、お金の運用が大変です。ボクの働いていた会社は、給与やボーナスの振り込み口座を3っ設定できました。
ボーナスが4回あったので、2回分は麻雀口座へ振り込んでもらいました。これが資金源になりました。
女房が綿密に年収を計算すれば「ヘン」と思うはずですが、バレれることはありませんでした。
賭け事は、誰かに嘘をつく事が多くなります。
退職してメンバーが集まらなくなったので、自然に足を洗うことになりました。
大谷くんが、違法賭博と知っていて、肩代わりしたのなら、共犯になると説明した人もいました。
善意でやったことが、犯罪になるのは可哀想だなぁと同情します。
見事な晴天でした。
大まかな野良仕事は終わったので、温泉に行こうかなと思いましたが、布団を干したり、部屋の掃除をしたりしていたら、時間がなくなりました。
明日は雨らしいので明日に延期です。
水原通訳のこと
昨日から気分が落ち込んだまま、昨日の韓国での試合も、途中で見るのを止めました。
大谷くんへのメンタル面の影響を、みんなが心配していますが、我々ファンへのメンタルも、少なからず影響があります。
なんだか、しらけて来ました。球場ではベースボールゲーム、裏ではマネーゲームかと。
初戦を放送したNHKの視聴率は24.9%でした。もっと高いのかと思っていました。
さぁ、ボクは今年も広島カープを応援して、一喜一憂しよう。
2024年3月21日 (木)
恐ろしいこと
水原一平くんの事件には、驚きました。
野球好きの人なら、誰もが好感を持っていた人物が、こんなことになるのか、と。
信頼してもらっていたであろう大谷くんの口座から、しかも、ボクらでは想像もつかない金額を、人間って、こんなに狂うのかと落ち込みました。
大谷くんの口座を自由にできるということは、信頼されている証拠。それを裏切ったのだから、悲しい。
大谷くんのショックは計り知れない。金額のタカではなく、裏切られた人間性に。
頑張れ、大谷くん。
2024年3月12日 (火)
天気予報
今朝6時過ぎに目が覚めたら、雨の音。
起きてネットで天気予報を見たら、「田布施の雨は8:15分に上がります」とありました。
ホントかなぁ、と疑っていましたが、ピタリとその時間に上がりました。
すごいなぁ、と驚きました。
それに引き換え、テレビの天気予報の、なんと大雑把なことよ、と嘆きました。
大昔と、ほとんど変わっていません。
せめてローカル放送の時間帯では、もっと時間をとって、細かくやったらどうか、と思いました。
松島トモ子さんから電話。
共通の友人が昨晩亡くなったと。
有名人も、たくさん亡くなり、友人知人も亡くなり、ドキドキしながら、順番を待っている感じがして、怖い。
トモ子さんは25日の「徹子の部屋」へ出演するそうです。(録画済み)
アカデミー賞で2作品が受賞。スポーツ選手は外国で大活躍。
気分の悪い、心塞ぐ国内政治を忘れさせてくれます。
2024年2月15日 (木)
小雨
気温は高かったけど、小雨が降り続きました。
昨日の予報でわかっていたので、さっさと温泉へ。(鳩子の湯)
夕方、松嶋トモ子さんが電話をくれて、長電話。
仲間たちの消息など。
7月19日に、コンサートをやるそう。
元気でよかった。
2024年2月 9日 (金)
今日のこと
小澤征爾さんが亡くなりました。
年齢の近い人が亡くなるとドキッとします。
88歳は、まだ早いでしょう。
春のような陽気でした。車の窓を開けて走りました。
天気予報の番組で、予報士やアナウンサーが、春の足音が聞こえますとか、嬉しそうに語りますが、
ちょっと待ってくれ、これは異常気象で、地球が変になっているので、喜んでいる場合じゃないんだよと、叫びたくなります。
家の周りの清掃をし、バラなどへ肥料を施しました。
2024年1月28日 (日)
剪定作業
2024年1月23日 (火)
ニュース雑感
「あんた、頭悪いね」発言で顰蹙を買った裏金議員・谷川弥一が辞職した。
「偉くなるには金が必要だと思って、必死に集めた」
大臣になりたかったらしいが、無念の退陣となった。
悲しい、哀れ。これが日本の政治家の体質か。
イギリスの郵便局のシステムに障害があり、多くの郵便局長が犯罪者になった。700人とも。
なぜこんなことが起こるのか、不思議だ。システムを作ったのは日本の企業「富士通」だそうだ。
分かっていて、なぜ黙っていたのか。「企業の社会的責任」を果たして欲しかった。
日本人として恥ずかしい。
松本人志が週刊文春を告訴した。
芸能人に警告。
疑われるようなことをしてはならない。
赤信号を渡っても、非難される。
スポンサーはイメージで商品を売る。
そのイメージが傷付けばスポンサーは落ちる。
スポンサーがつかなくなれば番組も終わる。
松本人志は、これで終わった。
2024年1月21日 (日)
黒柳徹子さん
(翻訳 澤良世さん)
土曜プロフィール
トークショーのスターとして認められるのには年齢は障害にならないことを証明した女性
黒柳徹子は日本でもっとも著名なエンターテイナーのひとりとして70年も活躍し、90歳のいまもかくしゃくとしている。
写真
黒柳徹子(90)、今月初め、東京の「徹子の部屋」のセットで。彼女のトークショーは1976年にはじまり、昨年秋に、同一司会者による番組の最多放送回数記録でギネス・ワールド・レコードより認定された。
モトコ・リッチ
東京からのレポート
2024年1月19日
今週初め、東京都心にあるテレビ局のスタジオで、黒柳徹子(90)は歩行器を押しながら、アシスタントの手を借りてゆっくりと録画舞台への3段の階段を上がり、クリームがかったベージュのエンパイア・アームチェアに座った。
スタイリストは彼女が履いていた特注の頑丈なブーツを脱がせ、ヒールの高いミュールを履かせた。メイクアップアーティストが刷毛で頬紅をさし、燃えるような赤い口紅を直した。美容師は彼女のトレードマークである玉ねぎ型のヘアスタイルを整え、別のアシスタントは刺繍入りの黒いジャケットを糸くず取りローラーで整えた。これで90歳の黒柳は、12,193回目の番組収録の準備が整った。
日本で最も著名なエンターテイナーのひとりとして70年にわたり活躍する黒柳さんは、1976年からトーク番組「徹子の部屋」でゲストにインタビューを行っており、昨年秋には同一司会者による番組の最多放送回数記録でギネス・ワールド・レコードを達成した。映画、テレビ、音楽、演劇、スポーツなどの分野で活躍する日本の著名人だけでなく、メリル・ストリープやレディー・ガガなどのアメリカ人スター、イギリスのフィリップ王子、ソビエト連邦の元指導者ミハイル・ゴルバチョフなども黒柳さんのソファを訪れた。黒柳さんは、ゴルバチョフは今でもずっと好きなゲストの一人だという。
「100歳になるまで続けたい」と冗談を言う黒柳さんは、早口でしゃべり、デートや離婚など、そして最近では死の話題についてゲストから聞き出すのがうまいことで知られている。韓国系カナダ人の俳優で歌手のアン・ヒョソプ(28)が今月番組に出演したように、彼女が若い世代を取り込もうと努力しているときでさえ、最近のゲストの多くは加齢による病気や同業者の死について語っている。
写真
テレビモニターに映っているのは、黒柳さんとゲストの歌舞伎役者六代目中村勘九郎。
第二次世界大戦を生き延びた彼女は、日本のテレビ界で早くから俳優としてブレイクし、その後、独特のスタイルを持つ好感の持てるインタビュアーとしてニッチを切り開いた。単にインタビューする人物になるのではなく、自らをキャラクターに仕立て上げることで、彼女は「タレント」として日本のパフォーマーのひとつのジャンルを確立した。英語の「タレント」という言葉は、日本では、毎日テレビで観ることのできる身近な存在だ。
イェール大学で東アジア文学と映画を教えるアーロン・ゲロウ教授は、「ある意味、彼女は日本におけるテレビ史の体現者のようなものだ」と語った。
ニューヨーク・タイムズ紙の土曜日のプロフィールから
- カンタベリー大主教:世俗化が進む世界で8500万人の英国国教会の精神的リーダーとして奉仕することは、ジャスティン・ウェルビーが直面する課題の一つに過ぎない。
- モザンビークの物語を語る:モザンビークで最も影響力のあるコンテンポラリー振付家・ダンサーのパナイブラ・ガブリエル・カンダが、複雑なモザンビークの近現代史を、動きのある身体を使って芸術的に表現する。
- 変革への確かな声:トーマス・メイヨーは、オーストラリアで先住民に議会での発言権を与えようとする取り組みの冷静なチャンピオンだった。失敗の後、彼は声を大きくするのだろうか?
- 過去を引きずる:ダン・カーターは17年間、路上にいた。17万5千人の人口を擁するオンタリオ州オシャワ市は、過剰摂取と経済的余裕のなさに苦しんでいる。
黒柳さんは、何よりもその長寿がすばらしいが、圧倒的に男性が多い環境の中で、先駆的な女性でもあった。
1972年、にバラエティ番組の司会者として駆け出しの頃、質問をすると「黙っていなさい、と言われた」と。その日のうちに3つのエピソードを収録したスタジオ近くのホテルでの2時間近いインタビューで、彼女は振り返った。
写真
1958年、NHKのスタジオで。圧倒的に男性が多い環境で、彼女は先駆的な女性だった。
彼女は聴覚障害者を支援し、ユニセフ(国連児童基金)の親善大使でもある。しかし、彼女の先駆的なキャリアにもかかわらず、女性の地位向上にはほとんど貢献していないと言う批評家もいる。東京大学の林香織教授(メディア論)は、「彼女は豊かで古き良き日本の象徴である」とEメールで書いている。
インタビューの中で黒柳さんは、多くの部屋で唯一の女性であることの屈辱をくどくどと語ることはなかった。彼女は、30代から40代にかけて、テレビ業界の男性たちからデートに誘われたり、結婚を申し込まれたりしたと語ったが、それらの申し込みは、あまりうれしくなかったと暗に伝え、今の時代なら冗談としても不適切と思われるようなことを言われたという。
男の社会関係に 「封建的」要素が残る社会で、彼女は女性たちに、自分のキャリアを自力で切り開くようアドバイスした。「女性だから何もできないなんて言わないで」と彼女は言った。
母親になる準備として子供番組に出演したかったからテレビ界に入ったというが、結婚も出産もしなかった。「ユニークな仕事では、独身でいるほうがいい。その方が居心地がいいのです」と続けた。
1981年に出版された彼女の最初の回想録『窓ぎわのトットちゃん』は、東京の一風変わった小学校に通う幼少期を描いたもので、全世界で2500万部以上を売り上げている。昨年秋には、第二次世界大戦中の日本での過酷な状況を綴った続編を出版した。当時、15粒の炒り豆しか食べられなかった日もあり、東京上空の空襲から身を守るために母親と一緒に防空壕に身を潜めていた。
写真
番組の始まる前に、黒柳さんのトレードマークである玉ねぎ型のヘアスタイルを整える美容師。
彼女は、ロシア侵攻後のウクライナの映像を観て触発され、続編を書こうと思ったという。黒柳さんは、戦時中、母親が一家を東京から北日本に疎開させた幼少期の記憶を掘り起こした。
「戦争が悪いことだとは言っていないけれど、戦争を体験した子どもがどんな気持ちだったかを理解してほしい」と彼女はいう。
黒柳さん自身、子どもらしさを失わない。インタビューのために、彼女は特徴的な玉ねぎヘアのお団子をやめ、アッシュブロンドのシャーリーテンプル風カーリーボブのウィッグの下に自分の髪を隠し、巨大な黒いベルベットのリボンで固定した。
それはすべて、彼女が何十年にもわたって培ってきた、脅威を感じさせない人格の一部なのだ。東京にある専修大学経営学部の根本久美子教授(ジェンダー問題を専門とする)は、「彼女はちょっと愛らしくてかわいい」と言う。「彼女は何かを批判したり、政治的なことを持ち出したり、否定的なことを言ったりはしません。」
そのためか、ゴルバチョフは別として、黒柳さんは政治家とのインタビューを避けてきた。「彼らには本当のことを話すのは難しすぎる。そして、彼ら全員にいい顔をさせることはできない。」
写真
撮影現場でメイクアップアーティストのバッグに入れられていた若き日の黒柳さんの写真入りバッジ。
アメリカの画期的な女性記者であるバーバラ・ウォルターズと比較されることもあるが、黒柳さんはインタビュー対象者に無理強いすることはない。プロデューサーは事前にゲストが避けたい話題や進めたい話題を尋ね、黒柳さんはそれに応じる傾向がある。
今週の収録では、歌舞伎役者の六代目中村勘九郎をゲストに迎えた。勘九郎さんの父も祖父も徹子の部屋の常連だった。中村勘九郎さんは、テロップが流れる前に家族についての質問を予期していたようだ。
黒柳さんは、「私が一番大切にしているのは、お客さんに『この人、変な人だな』『悪い人だな』と思われないようにコントロールすることです。できれば、"あ、この人、いい人だな "と思ってもらいたいんです。」
2001年にゴルバチョフ氏が彼女の番組に出演したとき、黒柳さんは政治的な話題を避けた。「ゴルバチョフ氏にとっては重要なことだったでしょう」と彼女は言う。でも、黒柳は彼の好きな詩人について尋ねた。すると彼は19世紀のロマン派詩人ミハイル・レルモントフの『帆』を朗読した。「日本の政治家にこのような質問をして、あなたと同じようにできる人がいたらどんなにいいでしょう。もし一人でもいたらすばらしいと思います、と私は彼に言いました。」
写真
黒柳さんは「100歳まで続けたい」と冗談を言う。
彼女は年齢を重ねるにつれ、49年間番組を続けてきたテレビ朝日の撮影現場で直面する、同世代の課題に率直に向き合ってきた。例えば、黒柳さんは "スキヤキ "の作詞者である永六輔さんに、2016年に亡くなる前にインタビューした。彼は車椅子で登場し、明らかに進行したパーキンソン病の症状を見せていた。黒柳さんは率直に病気のことを話した。
京都にある同志社女子大学リベラルアーツ学部の影山貴彦教授(メディア論)は、「お年寄りは彼女の存在に間違いなく励まされています」という。
話し方が明らかに遅くなった黒柳さんは、高齢の視聴者に感動を与える仕事を続けたいという意欲について語った。「身体に問題がなく、頭もまだ働く状態で100歳までテレビに出演できるということを示すことができれば、それは面白い試みだと思います。」
2024年1月 9日 (火)
訃報続き
八代亜紀さんが亡くなった。続くなぁ、どうしちゃったんだ、と心が騒ぐ。
元気でいよう、と自分の心を落ち着かせる。
暖かい1日だった。エアコンが1台動かなくなたので、電気屋さんに来てもらった。
20年前の製品らしい。取り替えることにした。
能登半島地震、死者がどんどん増える。
悲しい。
2024年1月 7日 (日)
訃報 中村メイコさん
大晦日になくなたそうです。ニュースで知りました。
お悔やみ申し上げます。
メイコさんとのお付き合いはありませんが、ご主人の神津善行さんとは、長年、仲良くしてもらっています。
今、お悔やみのメールを出したところです。
メイコさん「あなたは、茶川一郎さんと、どういう関係なの?」
神津さん「違うよ、田川一郎さんと言うんだよ」
この夫婦の会話で、メイコさんにも、名前を覚えてもらいました。
ブルーベリーを食べてもらっていました。
娘たちが「今年はまだ来ないの?」と催促すると聞いた事があります。
神津さんには、暖かくなたらご飯を食べましょうと書きました。
ご冥福をお祈りします。
2024年1月 5日 (金)
訃報
篠山紀信さんが亡くなりました。83歳。
お会いしたことはありませんが、同世代なのでショックです。
自分も近づいているので、心がざわつきます。
ご冥福を祈ります。
新しいパソコンへ古いパソコンのデータを移行する作業を、自分ではできないので、専門家へ来てもらいました。
朝10時から12:30分までかかりました。
ボクの注文が多かったのが原因。
気持ちよく使えるようになりました。
2023年12月23日 (土)
笑える話
何回、同じ話を聞いても、同じように腹をかけて笑える話が、ボクには3っあります。
1)島田洋七さん。
お母さんを連れてハワイへ行きました。入国の時、目的を聞かれるから「sightseeing(サイトシーイング)と答えなさいと言ったら、
「カタカナはよう覚えん」と言う。だったら「斎藤寝具店」と言えと教えました。サイトシーイングに聞こえるからと。
飛行機の中でお母さんは何回も「斎藤寝具店」を繰り返し、覚えていました。そして、入国審査になりました。お母さんは「斎藤寝具店」と言いませんでした。なんと「山田ふとん店」と言ったのです。
2)南こうせつさん。
お父さんが亡くなって、葬儀が終わりお骨を自宅に持ち帰りました。そのお骨を前にして、兄弟3人がお母さんを慰めました。
「僕らが支えるから、元気出してね」と。お母さんは、じっとお骨を眺めながら「好きじゃなかった」とポツリ。
3)野際陽子さん。
NHKへ入局して寮に入りました。ある夜、彼女の部屋に泥棒が入りました。
「ねーちゃん、お金くれ」
震えながら聞きました。
「いくら欲しいの?」
「7千円」
「1万円しかないからお釣りをちょうだい」
「馬鹿野郎、お釣りがあるくらいなら泥棒なんかに入らねえ」
「じゃちょっと待ってなさい。タバコやで両替してくるから」
「ダメだ、逃げるだろう」
結局1万円渡して帰ってもらったそうです。
後に、その泥棒から手紙が来たそうです。
「その節にはお世話になった」と書いてあったそうです。
野際さんは亡くなったので、この話を聞けなくなったのが残念です。
2023年12月 1日 (金)
惜別
脚本家の山田太一さんが亡くなった。89歳。
俳優の鈴木瑞穂さんが亡くなった。96歳。
仕事でご一緒したことはなかったが、同じ業界で同時代だったので、身近に感じて、寂しいです。
2023年11月12日 (日)
ドラマ
昨晩、ドラマを見ました。平尾誠二と山中伸弥の友情を描いたドラマで、平尾誠二を本木雅弘が演じていました。
ボクが驚いたことは、本木くんの演技でした。上手くなったなぁ、と。
演技らしくなく、自然で、こなれていて、見事な演技でした。これから彼は、日本を代表する役者として活躍するだろうと思いました。
ドラマのストーリーより、彼の演技を楽しんだ2時間でした。(テレビ朝日)
2023年11月 5日 (日)
老優
2023年10月21日 (土)
個展
中村画伯、頑張っています。お出かけください。
中村みつを個展 「月の旅Ⅱ」
GALERIE Malle/ギャラリーまぁる
(東京都渋谷区恵比寿4-10-18-2F/恵比寿駅東口から徒歩3分)
11月15日(水)〜26日(日)
12時〜19時(最終日は17時まで)
休廊日:月曜日
無料
電話:03-5383-6101
街でも、山でも、月はいつも変わらなくぽっかり浮かんでいる。
峠道から見上げた昼下がりの月もあれば、森の池に姿を現した月もありました。
山の帰り道、ふと振り返ると街の夜空に月が優しく迎えてくれました。
月と山の旅のお話。20景ほど描きました。
2023年10月16日 (月)
今日のこと
谷村新司さんが亡くなりました。74歳。早すぎます。楽しませていただきました。ご冥福を祈ります。
イスラエルとハマスの戦争は、深刻さを増しています。胸がつぶれそうです。なんとか中断してほしい。
少し体調が悪かったので、リハビリへ行ってぶらぶらしていました。
2023年10月 6日 (金)
プロ野球
巨人の新監督が阿部慎之助に決まったそうだ。
2軍の監督時代、スパルタ的練習だったそうで、そのままのスタイルが1軍で通用するか疑問だ。
素人判断だが、強い巨人になるとは思えない。
中日の立浪監督も、感情的で、信念がない監督に見える。
このままだと、来年もビリではないかと。
なんと言っても、面白いのは広島カープだ。若い選手が躍動する。
新井監督は面白い。阪神を倒して日本一になれ。
秋晴れの1日だった。午前中、農園の手入れをした。
午後は、ぶらぶら。
コタツをセットしたら、ネコが喜んで、潜り込んでいます。
2023年8月16日 (水)
今日のこと
いつもの1日でした。
明日は雨の予報。
島田洋七さんが、涼しくなったら遊びに行きます、と言っている、と岡部さんへ話したら、
「トークショーをやろう」という。
いつも使う会場のスケジュールを問い合わせたら、希望の10月の土日は、空きがない。
無理か?と思案中。
2023年7月27日 (木)
今日のこと
今日も、猛暑でした。
隣のおばちゃんは、やっと平熱に戻り、元気になりました。
「私は、畑には行けないから、トマトでも、なんでも取って食べなさい」と。
早速、トマトをたくさんもらいました。
電話で話しました。みんな暑さの話。
松島トモ子さん。
「干物になっているよ』
「もともと、あなたは干物だから」
(笑)
島田洋七さん。
「こっちも暑いですよ。秋になったら、田布施へ遊びに行きますよ。」
来るなら、何か考えるかなぁ?
2023年7月22日 (土)
夏の生活時間
朝は5:30分に起きます。従って、夜は10時になると眠くなります。
10時以降にいただいたラインやメールは朝の対応になります。よろしくお願いします。
隣のおばちゃんは、まだ微熱があるらしい。熱さまシートを届けたら「こりゃいい」と喜んでくれました。
夕食を届けたら、明日からは、自分でやるから、と言っていました。
猛暑でした。
2023年7月21日 (金)
今日のこと
午前中、隣のおばちゃんの様子を見に行こうとしたら、洗濯物が干してあったので、大丈夫だ、と思って引き返しました。
でも、夕方、心配だったので、覗いたら、「熱が出た。7度5分ある」と言ってソファに横になっていました。
明日、医者に行こうと言ったら、薬は5日分もらって来たから、大丈夫と言った。
夕飯を準備するのが大変だろうと思って、握り飯と、コロッケ、鯵の南蛮漬け、味噌汁を届けた。
喜んでいました。
民生委員という人がいて、連絡してあるから、月曜日には来てくれる、と言っていましたが、90歳の一人暮らしは、何が起こるかわからないから心配だ。
摘み取り隊4名。20数キロ収穫。
ボツボツ、甘くなってきた。猛暑のお陰か?
ビッグモーターのニセの保険金請求事件、これは詐欺でしょう。
経産大臣「事実なら言語道断」
言語道断で済む話ではないと思う。
2023年6月30日 (金)
文章を書くこと
文章を書くことは老化予防になると思う。その文章を発表して、人に読んでもらうとなれば、ますます元気が出る。
栄前田勝良さんは、読売広告社で働いていた有能は広告マンだった。ハウス食品を担当していてボクと親しくなった古い友人だ。
彼からメールがあった。
読売新聞に「気流」という読者の投稿ページがあって、そこに投稿が掲載されたから読んでほしい、と。
コンビニで読売新聞を買ってきた。
彼は、このページへ、事あるごとに原稿を送っていて、その都度、ボクにも送ってくるから、感想を送っている。
何十本送ったか知りませんが、掲載は2回目らしい。
300字にまとめるのは難しいと言いながら、せっせと投稿を続けています。
ボケないで、元気でいられる要因だと思います。
2023年6月17日 (土)
田沼武能さん
今日の「天声人語」(朝日新聞)は、田沼武能さんのライフワークだった子どもの写真についての評論です。
現在、東京都写真美術館(恵比寿)で開かれている回顧展のPRを兼ねた評論です。
写真展「人間讃歌」は7月30日までやっています。ボクは先月のお別れの会の時、見ました。迫力ある写真展です。
詳しくは下記サイトで。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4532.html
2023年6月11日 (日)
アフリカの思い出
今朝の朝日新聞に載った写真です。
ナイジェリアが行っているガスのパイプラインの写真です。
ヨーロッパに売り込もうとして(ロシア産の代わりに)急ピッチで作業が進んでいるという記事と共に掲載されています。
撮影者は「中野智明」とありました。
フリーのカメラマンです。
ボクらが2000年、コートジボアールへ黒柳徹子さんと取材に行った時、彼は朝日新聞に雇われて参加していました。
地方都市で取材を終えて宿泊している都市アビジャンへ戻る途中で、彼の乗った車が、ひどい交通事故に遭いました。
彼は腰や足の骨が折れる重傷を負い、救急の飛行機でパリへ運ばれました。
パリの病院で長い闘病生活が続きました。その後のことを、よく知らなかったので、今朝の写真を見て、復帰しているのだと嬉しく思いました。
もう、かれこれ、60歳近いと思います。しかも、足はまだ不自由だと思います。
メールを書きましたが、昔のアドレスなので、届いたかどうだか?
その時の朝日新聞の記者は「望月洋嗣」くんで、彼も鎖骨を折ったと思いますが、元気なって、ときどき、ワシントンからの記事を読むので、ワシントンの支局長かな、と想像しています。
無事で活躍しているのが嬉しかったので、書きました。
黒柳さんも、読んで喜んでいるかも。
2023年6月 3日 (土)
今日のこと
荒木一郎さんのプロデュースによるダンスとマジックの舞台を見てきました。(渋谷・伝承ホール)
飽きずに見ました。
荒木さんは、体調不良(神経痛)らしく、現場にいなくて会えませんでした。
早い回復を。
午後から暑くなりました。
明日、田布施へ帰ります。
2023年6月 2日 (金)
東京雑感
スーパーや飲食店に「アルバイト募集」の張り紙を多く見かけます。
時給は、高い時間帯で1,230円とか、すべて千円を超えています。人が足りないんだなぁと思います。
昨日、心臓内科医院へ行って、マイナカードを提出したら「ここは、まだ対応していません。紙の保険証をお願いします。」と言われました。
政府は、急げ急げと国民を急かせて、医療機関の体制が整っていないアンバランス。
ミスは出るし、悲しい政府。
田沼武能さんの「一写入魂の会」で、知り合いのプロのカメラマンに何人か会いました。
カメラマンの仕事がなくて厳しい、と。スマホや生成AIが仕事を奪ったか?
田沼夫人の挨拶で印象に残った事がありました。
「海外取材から帰って荷物を置いたら、また出かけるというので、どこへ行くの?と聞いたら、○○くんの写真展が今日までだから行ってくる、見てやると喜ぶから。」
樹木希林さんも、晩年「人が喜んでくれることが一番嬉しい」と言っていました。
ボクも、心がけようと思いますが、なかなか。
招待券
田沼武能写真展「人間賛歌」
招待券が1枚あります。
豪華な写真展です。
差し上げますのでご連絡を。
2023年5月31日 (水)
田沼武能さんのお別れの会
会の名前は「一写入魂の会」と命名されていました。
田沼さんが好んで使っていた言葉でした。
参加者約500名。黒柳徹子さんの笑いに満ちた海外での取材活動の紹介と敦子夫人のユーモアとペーソス溢れる日常生活の紹介で、楽しい会になりました。
下の写真は、敦子夫人と⒉人の息子さん。
夫人の着衣は田沼さんのお気に入りだった仕事着だそうです。
夫人は歯科開業医・料理研究家。
田沼武能さんは、写真家の地位向上に努力され、短かった写真の著作権を、他の芸術作品と同じ長さにする努力をされ実現させました。
これらの功績により、写真家では初めての文化勲章を授与されました。
「田川くん、君に初めて言うんだが、文化勲章の内示があったよ」夜遅い電話だったと記憶しています。
仲良くしてもらいました。取材現場は、いつも楽しかった。2人とも食いしん坊だったので、珍しいものを好んで食べました。
もう少し待っていてください。そちらで、また、楽しくやりましょう。
2023年5月25日 (木)
今日のこと
午前中、眼科とリハビリへ。
午後、農園の見回り。見回れば、色々やることが見つかります。
季節が進むと、やる事が多くなり、忙しくなります。
松島トモ子さんから電話がありました。
「徹子の部屋」に出演するから見て欲しいと。
(6月6日)
2023年5月18日 (木)
ショックなニュース
猿之助さんの家庭で何があったのだろうか?
無理心中のような感じがする。
ショックで悲しい事件だ。
午前中は降らなかったので、草刈りをしました。
午後からは雨。沖縄は梅雨に入ったから、山口県も、間もなく梅雨入り。
ネット情報から、猿之助さんの事件は、ガス自殺ではないかと思われ、ご両親は巻き添えではないかと。
猿之助さんは、ジャニー喜多川さんの性加害に似た問題を抱えていて、今日発売の「女性セブン」に記事が出ているらしい。
出演者やスタッフに対するパワハラ、セクハラは、歌舞伎界では知られた話だったそうだ。
残念だが、人権を踏みにじる行為は、人間として許せないし、役者を続ける資格はないと言わざるを得ない。
2023年5月13日 (土)
プロ野球雑感
広島カープは、今日は負けましたが、頑張っているので嬉しい。
新井監督は、選手と一緒になって楽しんでいるようで、好感が持てます。
一方、聞きたくないスキャンダルもあります。
西武の山川穂高選手は、強制わいせつ致傷罪で、女性から訴えられ、球場から姿を消しました。
巨人の坂本勇人選手も、女性から告発されました。
スポーツの楽しさを満喫させてくれる選手たちが、女性を相手にデタラメをやっていると知ると、落胆します。
睡眠時間を確保するために、遊ぶ暇がないという大谷選手の、野球に捧げる姿を学んで欲しいと思います。
2023年5月 7日 (日)
無視
NHK山口放送の夕方のニュース番組で視聴者からの写真の投稿をお待ちしていますというアナウンスを聞いたので応募しました。
テーマは「やすらぎ」でした。コメント100文字つけて。
ボクの住まいの近所の風景でした。多分、採用はされないだろうと思っていました。どんな断りのコメントが来るか、楽しみにしていましたが、2週間経っても何も連絡がありません。無視です。これはいかん、と思います。
ボクも放送局で働いていました。若い頃、先輩から言われたことを覚えています。
「放送が終わった後の事後処理も仕事の一部だから、ちゃんとやれ」と。
お借りした資料はちゃんと返す、お世話になった方にはお礼の電話をするなど。
NHKは社員教育が悪いと思います。
最近、依頼ごとをしても、無視されることが多々あります。
自分にパワーがなくなったんだろうと諦めていますが、できない理由くらいは、連絡をくれるのが礼儀ではないかと思います。
「無視」は傷つきますし、その人に対する信頼を失います。
2023年4月30日 (日)
プロ野球
カープは11対4で、巨人に勝ちました。昨日は、9回に逆転さよならホームランで負けました。
楽しませてもらっています。予想を裏切って、最下位にはならないで欲しい。
ヤクルトの村上宗隆くん、調子が出なくて、可哀想。23歳、悩んでいるのだろう。
顔を上げて、頑張れ。
新庄くん、負けてばかりで、新球場は満員にならないらしい。
監督のパホーマンスだけでは、人は来ないことを学んで欲しい。
大谷翔平くん、大活躍するも、チームが負けて可哀想。
筒香くんは、どうしているのだろうか?知りたい。日本に帰ってきなさい。
藤波くんも、惨めだ。帰ってきなさい。
ヌートバー選手を獲得する球団はいないのだろうか?
日本のプロ野球の活性化に。
2023年4月17日 (月)
政治家の歯
G7外報会議が軽井沢で開かれています。
林芳正外務大臣が議長を務めています。彼はハーバード大学へ留学していたので、英語は上手です。
しかし、歯が汚い。1本、抜けているようにも見える。他国の大臣は、みんな綺麗な歯をしています。
「歯が汚いと出世できない」はアメリカの常識です。
総理を目指すなら歯を治して欲しい。タバコのヤニのようにも見える。彼はスモーカーか?
2023年4月10日 (月)
先輩の死
先輩の国際ジャーナリスト・廣淵升彦さんが亡くなった。89歳、老衰だと思う。
10日くらい前に、食事を摂らなくなったので、入院させたと、奥さんから連絡をもらった。
アメリカのマンガ「ピーナッツ」(スヌーピーが活躍する)の研究者としては、日本一。
『スヌーピーたちのアメリカ』 (新潮社)は5万部くらい売れたベストセラーだった。
ボクが退職してから数年間、ネットで一緒に番組を作った。知的な刺激を沢山もらった大好きな先輩だった。
ご冥福を祈ります。
隣のおばちゃん(91歳)が、老人会の集まり(余興があったりご飯を食べたり)へ行くので、送迎をしました。
2023年3月13日 (月)
今日のこと
インプラントのメンテナンスへ行きました。(拝島)
大江健三郎さん、扇千景さん、が亡くなりました。
同時代人が亡くなるのは、身近な人が亡くなった気がして、こたえる。
明日は、施設へ入った老優・村上不二夫さんを見舞いに行く予定だ。
2023年3月11日 (土)
今日のこと
小田昭太郎さんと昼ご飯を食べました。
日本テレビを辞めて、制作会社「オルタスジャパン」を立ち上げました。
現役時代、何本か大型番組を作ってもらいました。
社員70人を抱える大会社になっていました。
80歳になった彼もボクも元気で会えてよかった。
企画を3本、提案しました。
連日野球を見ています。
ヌートバー選手を、日本の球団が雇って、日本でプレーして欲しいと思います。
頑張れ、日本!
今日のこと
夜8時頃、島田洋七さんから電話がありました。
「スゴイ反響で、電話やらメールやら、放送が終わってからすーっと対応してました。みんなが言っていました。こんなにじっくり、ゆっくり会話を楽しめる番組は、この番組以外にないと。ボクも、こんな番組をやりたいと本気で思いました。力になってください。」
昨日も今日も、野球を見ました。
「努力をしている人は輝くなぁ」と。
時すでに遅し、と自分を反省。
さあ、寝よう。
2023年2月16日 (木)
今日のこと
暖かかったので、午前午後、働き過ぎました。
(農園の剪定作業)
明日も、天気がいいようなので、働きます。
老人クラブの講演(24日)に、黒柳さんにメッセージを頼んだら、月曜日か火曜日に収録して送ると連絡があったので、これは参加者に喜んでもらえると、ボクも大喜び。
2023年2月 8日 (水)
田沼武能さんのお別れ会
5月31日(水曜)午後2時からに決まりました。
下記ビラをご覧ください。
申し込みは、下記サイトからお願いします。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfmm43_F4m4nekCIuW-b1IcyGzuNXSfA-y_0Vg5Q6NKkiPfMg/viewform
2023年1月 4日 (水)
元NHKディレクターの死
龍村仁くんが亡くなった。82歳。老衰だそうだ。
NHKに就職してまもなく、30歳前半だったと思う、矢沢永吉のロックバンド「キャロル」のドキュメンタリーを制作した。
当時ロックは不良の音楽としてNHKは放送に消極的で、彼の番組を放送しなかった。猛然と抗議を始めた龍村は、出社拒否をしたり、外部で同じテーマで映画製作をしたりした。ついに NHKは彼を解雇した。彼は裁判闘争を始めた。
ボクも、同じ制作者として、激しくNHKに抗議の意志を持っていた。ボクは、自分の番組へ裁判中の龍村くんを出演させてNHKへの抗議番組を作った。
龍村くんが、スタジオへ向かう廊下を歩きながら言った言葉を今でも覚えている。
「ボクが出演していいんですか?」ボクの立場を心配しての発言です。
ボクも、テレビ朝日を首になるかも知れない、と思いながら彼を迎えた。
あの緊張感は今でもよく覚えている。
NHK批判をやることに、民放として抵抗感はなかったようで、ボクは、だれにも咎められることはなかった。
その後、龍村くんは、裁判をやりながら映画監督として「地球交響曲」という作品を9作品残した。
表現の自由のために戦った同志を失った淋しさが蘇ってきた夜です。
冥福を祈ります。
2023年1月 2日 (月)
正月⒉日
初夢は見ませんでしたが、ボクの賀状を見た友人が、こんなメールをくれました。
人工知能研究者の黒川伊保子さんによると、人間は7の倍数の歳で何か変化を求めて動くそうです。
田川さんは年男だから7の倍数ですね、周囲が放っておかないのかもしれませんよ。
なんだかワクワクします。
友人は有り難い。
ということで、早速、何かいいことないかなぁと、年末ジャンボをチェックしましたが、
スカでした。
2022年12月29日 (木)
新しい戦前
「徹子の部屋」今年の最終回、タモリさんを見落としたので、今日、TVerで見ました。
黒柳さんの最後の質問。
「来年はどんな年になりますかねぇ」
タモリさんの答え。
「新しい戦前じゃないでしょうか?」
現在の政治状況と時代の雰囲気を見事に表現していると感心しました。
「新しい戦前」にならないように、祈り、行動しなければなりません。
今日は、コタツで読書の日でした。ネコもコタツの中にいました。
2022年12月27日 (火)
絵馬焼納
2022年12月20日 (火)
今日のこと
2022年12月19日 (月)
物価高
宮崎県で一人暮らしをしている友人は、スーパーの割引食材を買っているが、食事を減らしているので、6キロ痩せたと電話で言いました。
田布施に帰ったら、野菜なら送れるよ、と言ったら、有り難いと、嬉しそうな声でした。
富山県で生活している友人は、燃料費が高いので室温は10度に設定し、食事は一日1回にしているとメールで書いてきました。
ボクは、あまり実感がなかったので、びっくりしました。この物価高が、健康や命にまで影響を与えているとは。
ミサイルを買って国民の命を守ると言う前に、この物価高から命を守ることを考えて欲しい。
思い出した事があります。
黒柳徹子さんは、昔、「90歳になったら政治家になる」と言っていました。
忘れているかも知れないので、今度会ったら、是非実現して欲しいと勧めてみます。
日本の進む道を明確化して欲しい。
(国、年度、不明)
2022年12月 5日 (月)
動物の本能
ボクの周りの動物たち、猫もツバメも、必死で子育てをします。子どもを見捨てたりする動物はいません。
人間は、動物の中で、子育てをするという本能が劣化しているらしい。
国連は「子どもの権利条約」を作りました。育つ権利、学ぶ権利など、子どもの人権を、大人と同じ様に守る条約です。
日本も批准しています。(1994年)本能に依存するだけでは、子どもが守れないと考えたことからです。
悲惨な事件が続いています。
炎天下、車の中へ、子どもを置き去りに。
子どもの声がうるさいという近隣住民の苦情から、公園を潰すという。
保育園での、1歳児への暴行事件で、保育士3名が逮捕。
子育て本能を失った人間たちの仕業です。
本能を失ったら教育が必要です。
保育士になるには、試験があるはずです。
「子どもの権利条約」をしっかり教えてほしいと思います。
2022年11月13日 (日)
雨
予報によると、かなり強い雨のようでしたが、パラパラ程度でした。
野菜農家には恵みの雨になったでしょう。
家でぶらぶらしながら、どうしているか、気になっていた松島トモ子さんへ電話してみました。
股関節の手術後も順調で、先日、タップの中野ブラザースの弟さん(85歳 兄さんは故人)のリサイタルへ呼ばれて、歌って踊ってきたと言っていました。あの歳で、火の玉のような芸人魂を見て、力をもらったと。元気で良かったです。
サザンカが咲き始めました。
村上不二夫さんにも電話してみました。96歳。
元気でした。足が弱って、ほとんど寝ている状態だそうですが、口は達者でした。
「100歳まで頑張れ」と言ったら「うーん、イケるかも」とのことでした。
2022年11月 4日 (金)
お花見
2022年10月19日 (水)
楽曲
パリに住む友人のMiyukiさんが作詞し、九州で活躍するシンガーソングライターが曲を作ったからと連絡がありました。
聴いて下さい。
曲名「Pissenlit-ピサンリ」、フランス語で“たんぽぽ”だそうです。
作曲・歌「nisai」
2022年10月11日 (火)
今日のこと
午前中、リハビリへ。10月から健康保険の負担額が1割から2割になった。
2024年までに紙の保険証を廃止して、マイナカードへ1本化するという。
パソコンで紐付け作業をしてみようと思ったら、ICカードリーダーというものが必要だと分かった。
それを購入してまではバカバカしいので、立川駅の近くのある市役所の出先機関で、紐付ける端末はあるのかと聞いたら、
無いという。本庁の3階に行けばあると。こんな面倒なことを全国民がやるだろうか?
これをやれば、ポイントを付与すると宣伝するが、ポイントなるモノは、PAYPAYなどのデジタルマネーでの付与だという。
これも国民の何割がデジタルマネーを使用しているだろうか?
国民を置き去りにして、政府だけが焦っているような気がする。
午後は草刈りなど、野良仕事。
プーチンを早く、なんとかして欲しい。
頭に血が上ってる。何をするか分からない。ノーマルな人間ではない。
2022年10月 7日 (金)
ひとびと
「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川くんが、10日間の出勤停止になった。
発言に事実誤認があったからだそうだ。
今朝、見ましたが、面白くなかった。ネタもつまらなかった。
政権への忖度で彼を処罰したのでしょうが、残念。落ちた視聴率は回復に時間がかかる。
最近、見かけないのが小池都知事。元気なのかなぁ?
面白い事をやってよ。就任時の公約、何個か覚えてるよ。
2022年9月21日 (水)
後輩たち
亡くなったり、ガンになったり、後輩たちのニュースに、ショックを受けています。
大酒を飲んだり、徹夜で麻雀をやったり、無軌道な生活が格好良かった時代がありました。
晩年になって、そのツケが・・そんな気がする後輩たちです。
生きていてくれと願う。
今日の朝は寒かった。
23日に田布施へ行きます。
来月また上京です。運転免許の講習会などで。
2022年9月17日 (土)
会食
テレビ朝日のOG3名と食事をしました。(西麻布・エピス金子)
有能な女性たちで、それぞれの職場で活躍しました。
会食にはワケがあるので、簡単に。
真ん中の女性は高木春佳さんといい、若かった頃、ボクが悪事を働いて、彼女の人生を狂わせたかも知れない事件を起こしました。
その当時「セクハラ」という言葉は存在しませんでした。
性格のいい理知的な女性で、事件後、ボクを責めたりはしませんでした。
反省したボクは、お詫びかたがた、誕生日月が同じだったので、誕生会を二人で始めました。
ある時、毎年、二人だけではつまらないので、誰かを呼ぼうという事になって、今でも続いています。
来年の夏は、田布施に行きます、と言っています。
脚本家の内舘牧子さんからも、田布施に行ってみたいと手紙をもらっているので、賑やかな夏になるかも知れません。
2022年9月14日 (水)
今日のこと
田舎は歩かない。家を出るとすぐ車に乗リます。
東京は歩きます。昨日歩いたので足首が痛い。
黒柳徹子さんは、超元気で、今月末から芝居をやります。
9月29日から10月13日まで。EXシアター六本木。
「ハロルドとモード」
ボクは10月5日のチケットの手配をしてもらいました。
芝居が終わってから、11月にはユニセフの視察に出かけるスケジュールが取ってありましたが、コロナや現地(ウクライナ)の現状が不安定なので、今年は見送りますとユニセフが判断しました。
残念です。
松村邦洋くんから送られてきた写真です。
なぜ、送ってきたのか、理由は、この参加証の発行者が、ボクのオヤジだからです。
長いこと教育長をやっていました。
よく保存してるねー、松村くん。
2022年8月31日 (水)
訪問者
2022年8月28日 (日)
打ち上げ
2022年8月20日 (土)
今日のこと
高校野球・見ることは出来なかったが、下関国際が勝った。
月曜日に優勝戦。
優勝したら山口県は盛り上がるだろう。頑張れ!
土日の摘み取り隊は大人数になります。
大量の収穫、頑張りました。
大島のジャムズガーデンへも納品に行った。
明日は天気が悪いらしい。
雨になったら休養日。
2022年8月15日 (月)
夢
昨晩、6月に93歳で亡くなった写真家の田沼武能さんの夢を見ました。
何かの取材現場で見かけて声をかけました。
「田沼先生!」
「おー、3日目に生き返ったんだよ。みんな腰を抜かしてたよ。」
お盆には魂が帰ってくるといいます。
奥さんの敦子さんへ、所用でメールを書いて、夢のことを伝えたら、
「私も見たかった。」と。
あの世が賑やかになって、この世は、だんだん寂しくなります。
その後、長文のメールを貰いました。
その一部です。
ところで昨日、夢に出たというトーちゃんですが、何も言わずに逝ってしまったのでい
ったいどうしているのかしら…と思い(霊能者というのでしょうか、ほかの世界もわかる・・・)という方にお聞
きしましたら、「あちらでは新参者、でも、先輩方と楽しんでおられますよ~」といわ
れました。また、その方をご紹介くださったかたからも私がなにも言わないうちから「
先生は、いろいろな心配事、責任から解放されてのびのびされておいでですよ~」とい
われ、あ~、それならよかったな・・と思えるようになりました。
2022年6月22日 (水)
活動報告会
田村陽平くん(地域おこし協力隊)は、3年の任期を7ヶ月残し、退任することになり、東京へ戻ります。
今日、活動報告会がありました。町長を初め、関係したスタッフが集まりました。ボクも、招かれたので、参加しました。
写真左:スライドを使っての報告会。
写真中:町長から花束と記念品をもらう。
写真右。真ん中は町長(東浩二さん)。
退任を知った仲間たちからは「田布施におれ(留まれ)」「戻って来いよ」の大合唱、強力な支援者も現れて、魅力的な計画が提案されているようで、彼の心も、少し揺れているようです。
2年半、一緒に生活をしました。
不平不満を一度も聞いた事がありません。
人の悪口は言いません。
楽しかったです。
迷い猫の「ココ」も家族の一員になって東京へ行くそうです。
田村一家に幸多かれと祈る。
2022年6月14日 (火)
講演依頼
老人クラブから電話で講演依頼がありました。
10月ということでした。
今日、会長さんと会いました。
「日にちを間違いちょった。来年の2月24日でした。」
「じゃ、まだ時間があるので、どんな話をするか、考えておきます。」
講演時間は、電話では30分でしたが、今日は40分でした。
聴衆は80人から100人。
話は下手で、自信がありませんが、頑張ってみようと思います。
それにしても、「老人クラブ」という名前は、よくないなぁ、と思います。
死ぬ前の人たちの集まり、に聞こえます。
提案してみます。
2022年6月11日 (土)
雨
審査用のDVDを見始めました。
疲れたので、温泉へ。(鳩子の湯)
午後も視聴を続け、希林さんのテレビを見ました。
昨日の松島トモ子さんのコンサートは大盛況だったそうです。
友だちからの報告です。
今日、コンサート行ってきました。
残念ながら、トモ子さんはロビーに出てこられませんでした。
1部は歌3曲とお話(お母さまとのお別れとお葬儀関連)。お話が素晴らしくて笑いと涙の45分でした。(休憩15分)
2部は男性ゲスト2人登場(トモ子さんの歌の先生&若手のバリトン)。シャンソンや永六輔さんの歌など、各ソロも、お話を交えてあっという間の1時間でした。
トモ子さんは3回のドレスチェンジ、どれもゴージャスで素敵!!
客席は空席2,3席のみで満席でした。
大変勉強になるお話と、素敵な歌がたっぷり聞けた楽しいコンサートでした。
トモ子さんの反応。
ありがとうございました。
2年半ぶりのコンサートなので不安感がいっばいでした。喜んで頂けてうれしいです。楽屋から出るのも、楽屋にきてくださるのも禁止で、残念でした。コロナ対策です。
2022年6月 8日 (水)
今日のこと
晴天、夏日でした。
午前中、農園で働きました。
午後、肩が痛い(50肩のような痛み、寝てても痛い。)ので、整骨院へ。
少し楽になりました。
「値上げ許容度、高まっている。」
日銀総裁の発言ですが、意味が分からなかったですが、
どうやら、消費者は、値上げを我慢できている、と言う意味らしい。
さすが、怒りを買って訂正した。
消費者は、あなたを許容できないといっている。
国会では、細田衆議院議長。
セクハラやら、なんやら、あなたも「許容」出来ない人物。
引退ください。
2022年6月 2日 (木)
追悼文
黒柳徹子さんの追悼文です。
田沼先生は、子どもを撮ったら世界一というくらい、子どもの写真を上手に撮りました。
私がユニセフの親善大使になった時、田沼先生から直ぐに連絡があり、私の視察に同行したいということでした。
私は、NHKでデビューした頃からなぜか田沼先生に写真を撮って頂くことが多く、気心が知れていました。
ユニセフ親善大使になって38年間、必ず一緒に視察に行きました。
私は、視察から日本に帰って来て田沼先生の写真を見て、「あぁ子ども達は、こんな風に私に手を出していたのか」とか「飢えた子ども達の目はこんな風に乾いているのか」と解るのでした。
今年も秋頃に、ユニセフの視察に行く約束をしていました。
田沼先生は、93歳でした。「そうか、93歳でも子ども達のところに行こうとなさっていたのか!!」私は、改めて感動したのです。
いつも、カメラを3つも首にぶら下げて、暑い中、子ども達に声を掛けながら撮っていたお姿が目に浮かびます。
ありがとうございました。
(最後の著作)
2022年6月 1日 (水)
訃報
写真家の田沼武能さんが今日、亡くなりました。 ボクより10歳上だから93歳。
「今年はウクライナへ行こう」と話していたばかり。
奥さんと話しました。
「今朝、行ってくるね、と言ったら、おう、と答えてくれました。帰ったら亡くなっていました。」
心臓が止まったのでしょう。楽な往生だったと思います。
残念。
黒柳さんからも電話をもらいました。
「芸能界に入った時、一番最初に写真を撮ってもらったの。それからの付き合いだから、寂しい。」
涙声でした。
田沼さん、黒柳さん、ボク、3人は、とても仲良しでした。
この二人に出会わなかったら、ボクの人生は、物足りない人生だったと思う。
黒柳さんへは、長生きして下さいと伝え、世界のリーダーをインタビューする番組を作りたいと伝えた。
ゼレンスキーとかプーチンとか、と言ったら、プーチには会いたくないけど、と笑った。
葬儀は家族で済ませて、お別れの会は、写真家協会など主催で行われると思います。
写真家で文化勲章をもらったのは、田沼さんが初めてでした。(写真左)
2022年5月12日 (木)
プロ野球
広島カープが首位になりました。「カープが強いのは鯉のぼりの季節まで」と揶揄されますが、今年は、そのジンクスを突破して欲しいと思います。若い選手が躍動しているので、夏場もバテずに頑張るのではと期待。
アメリカでは大谷くんが大活躍。ウクライナの悲惨さを一瞬、忘れさせてくれます。
田布施は、朝から雨です。
温泉へ行こう。
2022年5月 5日 (木)
生活習慣
ヨーロッパを旅行して、洗濯物が太陽に干してある風景を見たことはありません。
アメリカでも同じです。室内でドライヤーで乾燥させます。
最近、ドイツでは電気代が高くなったので、洗濯物を太陽に干す人が出てきた、というニュースを見ました。
エネルギーの大半をロシアに依存しているからです。
そうだ、いい機会だ、ヨーロッパ人もアメリカ人も、洗濯物を太陽に干す習慣を身につけてくれれば、莫大なセネルギーの節約になる、と思いました。この生活習慣の大転換を世界的運動として展開できないだろうか、と思いました。
アイロン好きのイタリア人は、パンツにまでアイロンをかけます。そんなバカな習慣は改めて欲しいと思います。
何年か前(調べたら2016年)、アメリカのスーパーモデル(ジゼル・ブンチェンさん)が「シャワーの時、おしっこを一緒にしましょう。」と発言して話題になりました。彼女は地球環境に強い関心を持っていて、水の節約を呼びかけたのです。
世界の人が、トイレの水を1日1回節約すれば、膨大な節約になります。
生活習慣を変えて、ロシアの制裁に協力しましょう。そして、それは、地球を救うことになります。
2022年3月29日 (火)
今日のこと
パリからの客人が「また来ます」と言って帰りました。
フランスの庶民の生活ぶりが聞けて面白かったです。
快晴でした。
午後、伐採した竹の整理をしました。
あちこちで桜が咲き始め、毎日楽しい。
2022年3月28日 (月)
来客
パリから友人のミユキ・ガロワさんが来ました。
夜遅くまで、パリの話を聞きました。
今日は、午前中、田布施の桜(昨日下見済み)を見て回り、景色のいい「豆よし」で昼食。
13:00からパンのYamaguchiで講演。
その後、夕食づくり。
レシピを沢山持って来ているらしいので、楽しみ。
デザートも作るそうです。オリーブを持って来ているので、オリーブを使ったデザートらしい。
パリでは「デザートのない食事は、笑顔のない女性と同じ」だそうです。
2022年3月26日 (土)
今日のこと
夜から、強い雨でした。
広島カープは昨晩も、今日も、横浜ベイスターズに大勝しました。
予想が外れて嬉しい。
明日はパリから友だちが来ます。
「田布施に行ってみたい」と思わせたのは、ボクの宣伝力?
パリの料理を作るからと、用意する素材リストが届いています。
楽しみ。
2022年3月 8日 (火)
今日のこと
春の気温、午前中、働きましたが、へばりました。
通行人が「ご精が出ますね」と言って通り過ぎていきます。
頑張りますね、という意味です。
田沼武能さん(写真家・文化勲章受章者・93歳)に電話しました。
「元気ですか?」
「いや、元気じゃない」
「どうしました?」
「圧迫骨折で寝てる」
ウクライナへ出かけたいと思っているんじゃないかな、と思って、雑談。
「戦争が終わる頃には治るともうよ。口は達者だから、また電話ちょうだい。」
村上不二夫さん(俳優・95歳)にも電話しました。
「元気ですか?」
「元気と言うほどじゃないが、死なない程度に生きてるよ」
杖をついて近くのスーパーに買い物に行くくらいは出来るそうだ。
「近くに来てくれれば、飯は食えるよ」
いつも集まる仲間と相談することに。
2022年3月 2日 (水)
ウクライナ
人命が失われているのに、経済制裁だけでいいのか。「(核を使う)かも知れない」を恐れれば何事も出来ない。
理性を失った狂人プーチンを確保(逮捕)できないだろうか。
日本から70人の志願兵がウクライナへ行くというニュースがあった。
死なないように、戦って欲しい。
モスクワへも行ってプーチンを捕まえて欲しい。
追記:
志願兵は、ウクライナ大使館がネットで募集したのだそうです。(現在は削除)
日本政府は目的のいかんを問わず渡航しないようにと言っているので、無理でしょう。
2022年2月26日 (土)
友だち
崎侑真くん(さき ゆうま)は足が不自由な障がい者だ。ボクの家の前の道を車椅子で散歩していて、声をかけて、友だちになった。
しばらく見ないなぁ、と思っていたら、今日、呼び鈴を押して訪ねてきました。
彼はITに強い。岩国で施設に入り、リモートワークで仕事をする訓練をしているのだそうだ。
IT技術者は不足していて、自宅にいても仕事が出来る。障がい者にとっては、うってつけの仕事だ。
頑張って欲しい。
訪ねてきた目的は、 facebookを始めたので見て欲しいと、伝えたかったらしい。
30分話して、歯医者へ行く、と言って帰って行った。
彼のFacebookの URLは下記です。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100009572133890
表記について:
障害者の「害」という文字は、インパクトが強い。
「あなたは、社会にとって害のある人」なのですよ、と言っているように思われます。
他に、言い換えられないか、「ボケ」を「認知」に置き換えたように、と知恵を出しても、名案は未だに見つかりません。
「害」という文字は使わないで「がい」と書く人が多くなりました。
2022年2月23日 (水)
天皇陛下の言葉
ボクがイヤだと思っていることを、天皇陛下も、同じように思っているか、と親近感を持ちました。
62歳の誕生日会見で。
「他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願う。」
ボクは我が儘に生きてきたから、他者から批判されることが多かった。
「自分の正義」を押しつけられるのが、一番イヤだった。
でも、一応、相手が言ってることが正しいのかも知れないと仮説を立てて聞こうと努力はしたが、限界があった。
個人レベルから地球レベルへの思考にも「認め合う」ことが必要だと痛感する昨今です。
2022年2月21日 (月)
オリンピック選手のコメント力
自分の競技を振り返って、コメントする選手たち。
自分の感情をどう表現するか、必死で言葉を探し、丁寧にコメントをする姿に、好感が持てたし、その言葉から、人間としての生き方、人生観が読み取れて、心を揺らされました。
自分の生き方の参考にされた方もあったでしょう。
競技も楽しかったしコメントも楽しかった。
2022年2月18日 (金)
リモート講義(大学)
「講義動画の同時再生は不可」(早稲田大学)
何のことかわかりませんでした。
今朝の「天声人語」(朝日新聞)で理解できました。
リモート講義の動画を1本づつ見ると時間がかかるので、同時に何本も再生して、見た(講義を受講した)ように見せかける行為を多くの学生がやっているのが発覚して、それを不可(単位にならない)としたという。
講義を受けたくないのなら、大学に行くな、と言いたい。高い授業料がもったいないではないか、と思う。
先生の都合で講義が「休講」になったら「やったぁ」と喜んだ経験はあるから、強くは責められないが、何のために大学に行っているのだと思う。
途上国では、学校に行きたくても、行けない子どもたちが沢山いる。学んでいる子どもたちの目は輝いている。
豊かさが、人間を怠惰にするのだろうか?分からない。
2022年1月28日 (金)
今日のこと
島田洋七さんから電話がありました。
「 10:15分からNHKの旅番組へ出るので見てほしい。体重を落とした姿を見て。」と。
減量したことは知っていましたが、姿を見るのは初めてでした。
(NHKの画面から)
10キロくらいの減量に見えました。見事な健康体。
「コロナが収まったら、いつでも田布施へ行くよ。」
楽しみです。
30日に配布する桜の苗木(500本)が到着しました。
申し込まれた方、お忘れなく。
若干、余裕があります。当日、配布場所にお越しください。
(役場駐車場 9:00から11:00)
下重暁子さんの年賀状に「週刊朝日にエッセイを書いているので読んで」とあったので、
遅くなったけど、今日、読みました。
一昨年会った時、3年先まで出版の予定がある、と言っていました。
頑張るなぁ。
2021年11月21日 (日)
今日のこと
今日も小春日和。明日から雨らしい。
昨日と今日、日本シリーズ(プロ野球)を見た。
真剣勝負は迫力があり楽しい。
ベラルーシとポーランド国境の映像を何回か見た。
人間って、こんなにも残酷になれるのか、と胸が痛い。
国際援助も届いていないから餓死者や凍死する人が出るだろう。
平和の大切さを思う。
2021年11月16日 (火)
古葉監督死去
85歳とは早すぎる。
あの時代は、楽しかった。
山本浩二がいて衣笠祥雄がいて、江夏豊も頼もしかった。
今年のカープは新人が続々登場、来年は古葉時代の再来を期待。
2021年11月13日 (土)
芸人フル活動
2021年11月11日 (木)
Big Boss
毎日衣装を変えて、大変だろうな、いつまで続くのだろうか、誰が用意しているのだろうか、
「同じ衣装は着ない」という黒柳徹子さんみたいだな、野球のことを考える暇があるのだろうか、
プロ野球は、野球で人々を楽しませるのが王道だろう、ちょっと違うんじゃないの、
これで、成績が悪かったら、Big Bossは、Clown(道化師)になる。
2021年10月30日 (土)
新庄剛志監督のコメント
こんなことを言った監督はいなかった。観てくれる人々を意識して語った監督ないなかった。どの監督もチームのことしか語らなかった。
彼のツイッターのコメントを転載します。
「プロ野球の存在意義は、その街に住む人達の暮らしが少しだけ彩られたり、単調な生活を少しだけ豊かにする事に他なりません。
その裏側に誰を笑顔にするのかを常に心に秘めて新庄剛志らしく突き進んで生きます!」
新庄くん、「生きます!」は、間違い。ひらがなでいい。朝日新聞は(原文のまま)とコメントを付けた。
ボクの友人(女性)は、漢字の使い方で離婚した。
ファックスが来ました。
「今晩の夕食は入リません」
何のことか1,2秒考えたそうですが、カッとなって「こんな馬鹿とは一緒生活できない」と離婚を決意したそうです。
2021年10月13日 (水)
元テレビマンの農園経営
名古屋テレビの優秀なプロデューサーだった松本国昭さんは、何年も前からクレソンの栽培をやっていましたが、
今回、岐阜に古民家を購入して、そこを農園化しようとクラウドファンディングで資金を募集しています。
彼の説明動画を見て下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=MygHdrjORKg
クラウドファンディングのページはこちらです。
https://readyfor.jp/projects/68216
松本国昭さんの代表作は、沢木耕太郎のドキュメンタリー「深夜特急」をドラマ化しました。
大沢たかおさんが沢木耕太郎を演じました。
2021年10月10日 (日)
ラクダの思い出
この木製のベルはラクダの首にぶらさがっていたものです。
キッチンの出口にぶら下がっています。今日見たら、カビが生えていたので、拭き取って太陽に当ててやりました。
アフリカのニジェールへ行ったとき、欲しかったので、ラクダ飼いのおじさんに交渉して譲ってもらいました。
なにかと交換したのだと思います。
トランクへ入れて大事に日本まで持って帰りました。
当時親しかった女性へ、喜んでくれるだろうと思って、お土産だといって渡しました。
彼女は言いました。
「こんな汚いモノはいらない。」
ショックでした。
人の心は、他人の一言で、一瞬に変化することがあります。
その後、その女性とは疎遠になりました。
思い出の「ベル」です。おおらかないい響きです。
「コロン、コロン」
その音は、アフリカの砂漠に似合います。
2021年10月 6日 (水)
松島トモ子さんのお母さん逝去
100歳でした。ご本人も頑張られましたが、介護したトモ子さんも頑張りました。
トモ子さんがブログで報告しています。下記サイトです。
https://ameblo.jp/matsushima-tomoko/entry-12702129000.html
2021年9月27日 (月)
今日のこと
腰のリハビリへ1週間行けなかったので、少し調子が悪い。
近くのクリニック(ここでCTだったかMRIだったか、脊椎のヘルニアを発見してもらって、田舎のクリニックへ紹介状を書いてもらった。)
へ行った。
「レントゲンを撮りましょう。」
「6月から悪化はしていません。このまま、リハビリを続けてください。常備薬として痛み止めと貼り薬を出しますので、具合の悪いときに利用してください。」
どこも病院は親切。リハビリは週2回がいい、と言われたので、1回を2回に。
少女たちの見事な(芸術的)髪型に魅了され、夢中でシャッタを切った記憶がある。
美容院があるのか、母親の美意識と技術か、聞き忘れた。
(シエラレオネ 2003年)
2021年9月24日 (金)
総裁候補(女性)たちの衣装
「歯が汚い」ことは先日書きました。
今日は女性候補の衣装です。
高市早苗の衣装は、色が違うだけでパターンは同じ。
野田聖子はおばさんの衣装。日本酒がお好きだそうで、毎日、飲み過ぎで顔がむくんで、眠そうだ。
お二人に忠告します。
ファッションコーディネーターを頼んで、借りる衣装はあちこちに沢山あるから、もう少しセンスのある服装をして欲しい。
2021年8月12日 (木)
大雨
大雨の中、摘み取り隊の5名のみなさん、頑張っていただきました。
感謝です。
明日も雨の予報。
感染は制御不能だそうだ。
怖い。
ワクチンは不足、仮設病院を建てる気配もない。
無策政府が怖い。
2021年8月11日 (水)
雨
明日から3日間、土曜日まで雨の予報。3日間の休養は長すぎる。
注文をお待たせする方には、申し訳ありません。
ワクチンを2回打っても感染する人がいるらしい。怖い。
元気印の椎名誠さんも1ヶ月入院して、もうダメか、と一時は思ったと、奥さんの渡辺一枝さんからハガキをもらった。
退院はしたが、体力がガタ落ちだそうだ。
菅総理は「やめろ」と朝日の社説は書く。
医師も、そういう人が出てきた。
楽観主義が国民を苦しめている。
「バカな大将、敵より怖い」
2021年8月 5日 (木)
老音楽家
神津善行さんからメールをもらった。
奥さんの中村メイコさんは大腿骨の骨折から、長く立っていられないのだそうです。
家事を全部やっているそうです。
会いましょうと言いながら、何年も会っていません。
メールは次のように結ばれています。
「では又どこかでお目にかかりましょう。ダメなら極楽に行く道の左側にあるお茶屋でお茶を
飲んでおりますので、通りかかったら覗いてみてください。」
2021年7月29日 (木)
今日のこと
猛暑でした。いつも通りの一日でした。
岡部さんの事務所(カントリー工房)へ行ったら、カギもかかっていなくて、誰もいない、電話も通じないので、
何かあったな、と心配していたら、充くんから、目眩がするというので、病院へ連れて行ったと。
暑さのせいかな?用心して下さい。
2021年7月 5日 (月)
木製ビビ
三鷹に3人集って、食事をしました。
(宇川育さん・編集プロダクション社長、中村みつをさん)
いろいろな企みを話し合って、元気が出ました。
約束の時間より早く着いたので、三鷹駅北口にあるおでん屋「えがお」へ立ち寄りました。
ここに木製のビビ(林隆雄作)がいるからです。
準備中のママに会うことが出来ました。
「まぁ、いらしたんですか?」
長い間、顔を出さなかったので、死んだと思っていたみたいでした。
ボクはボクで、ひょっとしたら倒産して、店がないかもと覚悟して覗きました。
この店は、以前「りとる」という絵本専門店でした。
木製ビビを飾ってもらい、絵本を売ってもらっていました。
店を引き継いだおでん屋さんが、可愛いから置いておいてくださいと言うから、そのままになっています。
大事にしてもらっているようで安心しました。
2021年6月14日 (月)
今日のこと
長い間、ご無沙汰している友人・宇川育さんへ電話しました。
コロンブスという編集プロダクションの経営者です。絵本「ビビ」の私家版を編集してもらって以来の友人です。
「コロナで、ほとんどのスタッフはリモートですが、みんな元気でやっています。」
嬉しかった。
「ヘンな本を作りたいのですが・・・」
概略を話して、了解してもらいました。
電話を切ってから、書きかけの原稿を送りました。
返事です。
「新たな企てにお誘いいただき、元気をいただきました。」
ぼくも元気をもらいました。寿命との戦いです。全集中で、頑張ります。
大岩公園の草が伸びていました。
明日から、少しづつ、気晴らしに草刈りをします。
2021年6月 7日 (月)
ブログ
農園にいたら、ご婦人に声を掛けられました。
「ブログ、ココちゃんの、毎日読んでますよ。」
嬉しい、そして緊張が走る。
「楽しいブログを書かなくちゃ。」
永六輔さんは、周防大島出身の民俗学者・宮本常一さんと親しかったそうだ。
宮本さんに言われた一言が永さんの人生を貫いたそうです。
「ラジオに出演して、その電波が届く末端の人々は、どんな暮らしをしているのか、あなたはそれを知らなければならない。」
フィードバック(反応)は、表現者を育てる、と思う。
2021年5月24日 (月)
「さざ波」発言
高橋洋一とは、どんな人物なのか、どのような教育を受けたら、庶民の苦しみをあざ笑うような発言ができるのか、
興味があったので、ウィキペディアを覗いて見た。
東大から財務省というエリートコースを歩み、政策通らしい。経済学博士。
驚く記述があった。
2009年、公衆浴場の脱衣場のロッカーから時計や現金30万円を盗み、窃盗罪で書類送検されている。
どうやら、勉強ばかりしていて、庶民の生活感覚からは、遠い世界にいた人らしい。
グラフを世界と比べれば「さざ波」に見えるのだろうが、その統計の後ろで苦しんでいる人々に思いが至らない、いわゆる「学者バカ」
なのだ。とにかく、普通の常識人ではない、と分かった。
2021年2月24日 (水)
松島トモ子さん
2021年2月19日 (金)
アナウンサーの思い出
五輪相になった丸川珠代くんは、テレビ朝日のアナウンサーだった。東大法学部出身の美人アナで話題だったがアナウンスは下手だった。
安倍前首相の推薦で政界入り。安倍晋三氏は、目と目の間が開いた女性が好きだ、という噂があって、丸川くんも、その噂に合致していると笑った記憶がある。
同じく東大出身で、丸川くんの先輩で、曽根かおるというアナウンサーがいましたが、彼女もアナウンスは下手だった。
ひどい下手さ加減で、ハラハラしたものだ。
その後、アナウンサーに見切りをつけて、国連職員になった。UNHCR(難民高等弁務官事務所)で大活躍している。
結婚して、現在の名前は、根本かおる。何冊か著作もある。
芸能レポーターとして活躍した佐々木正洋くんも、テレビ朝日のアナウンサー。
当時ボクはアフタヌーンショーという番組をやっていて、タレントを雇う予算がないので、アナウンサーを探した。
「我が社で一番売れてなくて、暇なアナウンサーは誰だ」と聞いたら、佐々木正洋がいますという。
「芸能レポーターだが、やってくれるかな?」
「はい、是非やらせてください。」
と言うわけで、梨元勝くんに並ぶ有名レポータになった。
その後、早期退社してフリーになった。
潜在能力がある人は、転機によってそれが花開く。
2021年2月15日 (月)
友人たち
友だちには、もう1年以上会っていない。
時々、電話で確認しています。逆に、確認の電話をもらうこともあります。
老優・村上不二夫さん、昨日電話してみました。93歳だと思う。
「足が弱くなって、歩けなくなったよ。」
「トイレとかお風呂とかは?」
「それくらいは出来る。病院にも行ってるし。君は田舎ばっかりで、怪しいなぁ。」
「そんな話はむかし話、もう死亡適齢期ですよ。」
冗談を言っていると30代に若返る。
国際ジャーナリスト・廣淵升彦さんから電話をもらった。88歳だと思う。
「君は、よく人の悪口を言うなぁ。」
ブログを読んでくれているようだ。
「最近、日によって、耳の聞こえが悪い。じゃまた電話するよ。」
あまり耳の調子がよくなかったようだった。
島田洋七さんから電話をもらった。彼はまだ若い。
「仕事はほとんどありません。ラジオを電話でやったりしてますが、リモートというのがイヤでね、全部断っています。」
「コロナが落ち着いたら、一番最初に田布施に来てよ。」
「分かりました。行きますよ。元気でいて下さいね。」
励まされました。
みんな元気でよかった。
2021年1月29日 (金)
いろいろ
緊急事態宣言がターゲットにした「夜の飲食店」は間違っていたのではないかとボクは思いますが、
誰も言い出しません。このまま7日以降も続けて効果あるのだろうか?
入院拒否は「懲役」という国民をバカにした法案は変更されましたが、西村大臣は大ウソをついていました。
「審議会では、おおむね了承をいただきました」と。
18名のメンバー全員が難色を示したと暴露されました。
国会でウソをついたら「懲役」という法律を作って欲しい。
銀座で遅くまで遊んでいるヤツ(国会議員)は死刑だ。
ボロクソに言われている総理大臣。
少しかを紅潮させて「ボクは一生懸命やっている」と。
あなたの言う一生懸命さとボクらが期待する一生懸命さには、相当開きがある。
あなたの一所懸命さがその程度なら、あなたは総理大臣の器ではない。
下重暁子さんの年賀状に1月下旬に幻冬舎から本を出します、とあった。
「明日死んでもいいための44のレッスン」
今日の朝日新聞に大きな広告が載っていました。
彼女の方が少し年上だと思うが、同じ「死亡適齢期」、読んでみようとアマゾンへ注文しました。
2年前だったと思う。「3年先まで執筆の予定がある」と言っていました。
頑張るなぁ、と刺激になります。
2021年1月25日 (月)
訃報
CNNのラリー・キングさんが、コロナウイルスに感染して亡くなりました。87歳。
「ラリー・キングライブ」は25年続いたそうです。テレビ朝日はCNNと契約していて、「ラリー・キングライブ」は、1週間、テレビ朝日のスタジオから「アジアウイーク」として放送されたことを覚えています。残念です。
長岡三重子さん(106歳)は、現役スイマーとして知られていました。ボクと同じ町・田布施町の宝でした。
最近、亡くなったことを知りました。水泳は50歳くらいから始められたと聞きました。
「やれば出来る」を、多くの人が学びました。ご冥福を祈ります。
2021年1月 8日 (金)
国のトップ
菅総理が報道ステーションへ出演した。
なんとも頼りない、の一言。
トランプは幼児か狂人か?
自分への恩赦を画策しているとか?大統領を辞めた未来の自分へ恩赦?そんなこと出来るの?
相当悪いことをしているのだろう。
2020年12月13日 (日)
取材
2020年12月12日 (土)
ミーティング
2020年12月 8日 (火)
松島トモ子さん
久し振りに電話してみました。元気でした。
自宅介護をしているお母さんは来年2月で100歳だそうです。
ブログを始め、若者に大人気だとか。
https://ameblo.jp/matsushima-tomoko/entry-12640957232.html
NHKのEテレ「ハートネットTV」来年1月26日に介護の話で出演するそうです。
2020年12月 7日 (月)
笑い話
隣のおばちゃんは86歳くらいで一人暮らし。
お風呂は薪を焚いて沸かしています。
孫が来て(何歳か不明)、面白がって風呂焚きを手伝ったそうです。
おばちゃんが、笑いながら言いました。
「なんと、熱湯になってたよ」
ボクも笑った。
2020年12月 5日 (土)
総理の会見
想定問答集を読んでいるみたいで、迫力のない会見でした。
会見能力がない、という悪口を時々読みますが、ホントだな、と思いました。
「Go toトラベル」は断固としてやる、と言っているそうです。
「感染防止が経済回復の早道」(読売新聞)
ボクも、そう思います。
意固地になって環境が変わっても自分の主張を変えない人を意固地と言います。
ボクらの日常生活でも、主張を変えない人は、伸びが止まります。
年末には、東京で予定があって、帰京しますが、なんとか、下火になってくれと願っています。
会食や外食が大好きな黒柳徹子さんも、自宅と仕事場の往復だけで、完全自粛だそうです。
26日の「嵐にしやがれ」の最終回に出演するそうです。かなり面白いと、事務所の社長さんからの連絡です。
2020年10月16日 (金)
来客
山口放送(KRY)の佐々木聰さんから、昨晩、突然「明日、田布施へ行くから昼ご飯食べましょう」との連絡がありました。
しばらく人に会っていなかったので、嬉しかった。ボクが1人で2時間喋っていました。まるごと公園化プロジェクトの現状や思いついていたテレビの企画など。
心に響いたようで「カメラを持ってくれば良かったなぁ」と。
彼はボクが病気した事を知っていて、どれくらい悪いのかを確かめに来た様子でしたが、変わりなく元気だったので、びっくりしていました。
食後、何回か取材してくれた大岩公園を見に行きました。写真の人物が、テレビ界で天才といわれているディレクターの佐々木聰さん。
3年計画で、木村博道さんが、1人で、写真左下の湿地帯を水性植物の花園にすると頑張っています。
下の1枚目に写っているのが木村さん。1人で黙々と。
佐々木さんは「その内、また取材に」と言って帰りました。
2020年10月 3日 (土)
萩焼
萩焼の巨匠・三輪龍気生さんと電話で話しました。(プロデューサーの守田英二さんの仲立ち)
三輪龍気生さんは、11代三輪休雪さん(人間国宝)の長男で、12代休雪を継ぎましたが、まもなく弟の和彦さんへ譲りました。
11代三輪休雪さんがお元気なとき、三輪窯のドキュメンタリーを作ったことがありました。
「イヤー、懐かしいねー。展覧会やってるから遊びに来てよ。目が悪くなってブルーベリー毎日食べてるよ。」
ボクとほぼ同じ世代だと思います。遊びに行く約束をしました。
展覧会は下記サイトをご覧ください。県立萩美術館。
https://www.hum.pref.yamaguchi.lg.jp/exhibition/special/2020/12/042990.html
今日は出かける予定がなく、庭木の剪定をしました。
夏の間に伸びた枝は、相当な量になりました。
妻の「なんとかしてよ」の悲鳴に応えました。
コロナ禍で、夫婦の会話もとげとげしくなっています。
「なんで帰ってきたの?」
「なんで毎日出かけるの?}
帰宅すると、除菌スプレーを持って玄関に立っています。
心臓に病を抱えているので、コロナに感染したら死ぬと思っているらしく、
シビアです。
2020年10月 2日 (金)
独裁政治?
新政権は怖い政権です。震えが来ました。
日本学術会議のメンバー6名を承認せず、その理由も発表しません。
政府に反発する学者は除外するという意図は明白です。
色々な意見があるのが民主主義です。
この政権は、民主主義の破壊者です。
久し振りに中村みつをさんに会い、ランチをしました。元気でした。
絵本制作の話をしました。頑張っていい絵本を作ります。
西麻布の「エピス金子」は満席でした。美味しい食事をしました。
その後、松元ヒロさんの公演へ。(新宿・紀伊國屋ホール)
座席は半分、マスクを着用しての笑いは、少々迫力不足。
政権も変わったばかりで、笑える政治ネタは少なかったですが、楽しみました。
91歳の現役写真家・田沼武能さんから電話をもらいました。
「トランプは陽性になったが、ボクは元気だ。」
声も張りがあった。嬉しい。
2020年9月30日 (水)
今日の会話
数ヶ月田舎者だったので、しばらく振りの人との会話が新鮮だった。
口腔外科で、歯科衛生士さんがクリーニングしてくれた後で、昔から親しい(調子のいい)部長先生の診察。
「いいねぇ、いいねぇ、性格が表れてるねぇ。今度は4ヶ月後でいいよ。」
管理(磨き方)を褒められた。
部長がいなくなって、ボクは衛生士さんへぼやいた。
「部長はボクの歳を知らないんだよ。悪い歯を見つけると、すぐ、オーやろう、やろう(インプラントを)、と言うんだよ。危なくってね」
二人で笑った。もうこれ以上、インプラントはやらない積もりだ。
眼科にも寄った。超満員、会計を済ませるまで2時間かかった。
院長の診察。
「しばらくですね。変わりありませんか?」
「はい。」
「視力は少しづつ衰えているようだし、白内障も進んではいますが、しばらくはこのままでいいでしょう。3ヶ月後に会いましょう。」
眼圧調整の点眼薬を処方してもらいました。
ついでだ、電子治療にも行こうと。
「あ、田川さん、元気ですか?いつまでいるんですか?」
覚えていてくれるのが嬉しかった。
この治療で体温が1度上がった。
東京は歩くので、疲れます。
近所のパスタ屋でコーヒーとケーキで一休み。
ドアを開けたらママが、
「あら、お帰りなさい。肥ったわね。」
家へ帰って、慌てて、体重計に乗った。
ママの見立て通り1キロ増えていた。
2020年9月26日 (土)
訃報・かぜ耕二さん
76歳だった。深夜放送が全盛だったころ、(ボクは高校生だったと思う)「たむたむたいむ」という番組のパーソナリティーとして若者に絶大な人気があった。本業は作詞家。ヒット曲に「涙をこえて」がある。
復帰前の沖縄のドキュメントをLPレコード3枚組みで発表。ボクはこれに感動してかぜさんへ電話した。
そして、レポーターとしてテレビへ誘った。これがきっかけで、テレビの構成作家としても活躍した。
後年、ギラン・バレー症候群という難病で苦しんでいた。 26日に亡くなったとFacebookで知った。
去年、妹さんから電話をもらって、入院して意識がないということは知っていた。もう少し頑張って欲しかった。残念。
ご冥福を祈ります。
2020年8月30日 (日)
農園最終日
2020年8月18日 (火)
食事会
2020年8月13日 (木)
訃報
須藤甚一郎さん(81歳)が亡くなった。
アフタヌーンショーで芸能レポーターとして活躍してもらった。現在は目黒区の区議だった。
梨元勝さんと一緒の時代。梨元さんは女性セブンから、須藤さんは女性自身からの転身だった。
冥福を祈ります。
2020年8月12日 (水)
有馬稲子さんの戦後体験
今日の読売新聞に有馬稲子さんのインタビュー記事があります。
終戦が13歳だから鮮明な記憶があります。京城(ソウル)から釜山を経由して、イワシ船で日本へ密航。
いつ死ぬか分からない環境を経験した人の心は反戦意識で固まっています。
インタビューの最後が心を打ちます。
戦後75年経って、華やかで豊かになった日本で、1日3食食べられない子どもがいるなんて信じられません。
日本がおかしくなっています。コロナにしても、すぐ人を責めるし。養育費を払わない男性もいます。
私は子どもを持てませんでしたが、子どもは大好き。子ども食堂に関心があります。子どもの声をうるさがる不寛容な風潮もありますが、
子どもの声が響く社会こそ、平和の象徴だと思います。
痛烈な政治批判です。
「1人も取り残さない社会」
政治家諸氏よ、これを頭にたたき込んで活動して欲しい。
2020年8月 6日 (木)
今日のこと
猛暑でした。早朝から𠮷岡さんと河内さんが、ヒマワリ畑をコスモス畑に変身させる作業。
ボクも、草刈りを少しだけ手伝いました。
秋が楽しみ。
ボクは大学生の4年間、広島に下宿していました。
下宿のおじさんもおばさんも被爆者でした。おじさんは緑茶が放射能に効果あると思って、
緑茶を30分おきくらいに飲んでいました。6日の話もいろいろ聞きました。
当時、広島には放射能被害で苦しみながら生きておられた方がたくさんおられました。
ボクの身体には放射能に対する恐怖感が染みこんでいます。
なので、原爆も原発も、理屈なしに拒否します。考えるだけで恐ろしい。この世界に不要です。
岩成政和さん(東京都)からいただいた写真。
「ブルーベリーとビビ」
2020年7月27日 (月)
お寺さん
夏と暮れの2回、お坊さんがお勤めに来ます。檀家が100軒近くあるそうで、親父さんと息子が手分けしてお勤めしているそうです。
ボクの所は、いつも息子が来ます。
去年の暮れに、樹木希林さんの講演DVDをプレゼントしたら、面白かった、みんなで見ました、と喜んでくれました。
お経が毎回上手になります。練習しているのだと思います。
「コロナだし、お経は短くしてもいいよ」と言ったら、「いや、スピードを上げてやりますので、全部やらせてください」と。
整形外科へ行きました。(椎間板ヘルニア)
薬は全部止めてみる事になりました。
「リハビリは、時々、続けたらどうですか」といわれたので、時々通います。
「中腰の仕事は要注意ですよ」
「草刈りをします」
「それは問題です」
困ったなぁ。
2020年7月 5日 (日)
来訪者
「田布施を活気のある町にしたい」という熱い思いを抱いておられる青年の訪問を受けました。
彼の思いを聞き、嬉しくて勇気が出ました。近くの部落に住む田原淳嗣さん。
ボクらがやっている「田布施町まるごと公園化プロジェクト」の説明をし、仲間に加わって後継者になって欲しいとお願いしました。
午後は少し草刈りをしました。
隣のおばちゃんが近づいてきて「あんまり無理しなさんな」と心配してくれました。
2匹のネコは、一日中家の中にいました。
2020年5月 6日 (水)
ネガティブ脳
脳は使い方でクセが付くらしい。否定や批判が上手い人(ネガティブ回路が発達している)は、クリエイティブな仕事は出来ない。
ボクが作った番組を批判する人に、じゃ、あんた作って見ろ、と言ったら、ろくなモノは作らない。
幸せなことに、ボクのネガティブ回路は、もともと脆弱で、人の提案にケチをつけたことは、あまりないと思う。
今日の朝日新聞の記事から、感じたことでした。
休み中の生徒に、ネット授業を提案した先生が、否定されて実現できなかった話が紹介されています。
先生の中にパソコンが使えない人がいる、端末を持っていない生徒がいるので、不公平になる、などなど。
それを乗り越えて、実現しなければ、物事は進まない。
否定する人は、一見、賢そうに見えるが、結局はバカなのです。
ネガティブ回路を遮断すれば、人生は楽しくなります。
2020年5月 4日 (月)
情報あれこれ
奥さんがフィリッピン人の友人からのメールです。
これは、在外比人も含まれていて、日本と自国の二重取りで、ネットで叩かれそうですが、カミさんは楽しみにしています。
老優・村上不二夫さん。
元気でやってます。電話ありがとう。」
「お茶会をオンラインでやりました。面白かった。」
「自粛生活も、なかなかいいです。会社からの連絡はスマホで、その他は、筋トレやウオーキング、人生を考えるいいチャンスになりました。」
「オンライン会議は、繋がったらいきなり本題だから、準備が大変。無駄話は一切ないからね。能率的ではあるけど、味気ないね。」
2020年4月20日 (月)
深刻な笑い話
先輩から近況報告の電話をもらった。
「夢を見てね、デッカイ星が地球を目指して落ちてくる。逃げ場を失ってもがいていて、ベッドから落ちて頭と腰を打った。
検査の結果、異常はなく、喋る内容も書く文章も、まともらしいので、安心しているよ。」
彼は国際ジャーナリストの廣淵升彦さん。テレビ朝日の先輩。ボクよりは5歳くらい上だと思う。
数多くの著作がありますが、一番売れたのが「スヌーピーたちのアメリカ」(新潮社)。
以下書評から。
思慮深く繊細なチャーリー・ブラウン、ガミガミ屋のルーシー、世界一有名な犬スヌーピー―彼らの愛すべき日常風景の中に、人生の喜びや悲しみの奥深さを描く漫画『ピーナッツ』。その魅力に長年親しんできた著者が、ジャーナリストとしての豊富な経験をもとに“普通”のアメリカ人のホンネ、価値観を語る。人生を充実させるためのヒントや心楽しい発見もいっぱいのユニークな文化論。
廣淵升彦さんのブログ「View of the World」はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/makobuccini
2020年3月23日 (月)
宮城まり子さんの思い出
93歳、ご冥福を祈ります。素晴らしい人生でした。
心に残る思い出があります。
「ねむの木学園」の創設から間もない頃、取材の申し込みをしました。
長い電話になりましたが、了解はもらえませんでした。
一部のマスコミで「売名行為」だと言われ始めたのが気になっていて「また言われる」との心配が、ふんぎれない理由でした。
ボクは電話の最後に言いました。
「売名行為がなぜ悪いのか、考えてください」
半分諦めていましたが、3日後くらいに電話をもらいました。
その時、ボクは自宅で風呂に入っていました。
電話に出た妻が「風呂に入っているから後で電話させます」と言ったそうですが、
「待っているから呼んできて」と言い、電話を切らずに待っていてくれました。
「取材を受けます」という返事でした。
世の中に人に、肢体不自由児の現状を知ってもらった方がいいと思うので、が許諾の理由でした。
嬉しかったのを覚えています。
番組は「ある闘いの記録」というドキュメンタリーシリーズの中の1本として、今でも、アーカイブに存在していると思います。
フイルム時代の番組で、レポーターは、ばばこういちさん(故人)でした。
当時「売名行為」は日本人の道徳観に受け入れられず、忌み嫌われていました。
その後、10年くらい経った頃、国連が世界の有名人を国連親善大使として、指名し始めました。
そして次のようなコメントを発表しました。
「名前のある人(有名人)は、それを利用して社会に貢献してください」
これ以降「売名行為」を嫌う風潮はなくなったように思います。
今では「売名行為(社会活動)」をする有名人は尊敬される風潮になりました。
2020年3月17日 (火)
都心の様子
ランチは西麻布の「エピス金子」で。混んでいてびっくりしました。美味しい食事を食べさせてもらいました。
ミッドタウン六本木まで歩いて、田沼武能さんの写真展を目指しましたが、中止になっていました。
残念。再開の目途は不明の張り紙。
その後、原宿へ。
亡くなった先輩の服部尚雄さんのお宅へ。
奥さんは元アナウンサーで旧知の仲なので、昔話に花が。
仏壇へ花を供えて帰りました。
竹下通りを歩いてみましたが、めっちゃ混んでいました。
田舎者に返ったボクには、東京は疲れる街だ。
ニュースから、
コロナウイルスに関する情報で、ロシアとアフリカが報道されないのが気になっています。
モスクワにもナイロビにも各社、特派員がいます。
2020年2月 5日 (水)
片付け
引っ越し荷物の片付けと、大量のダンボールを隣町の回収業者まで捨てに行きました。
寒い一日でした。
協力隊員は元気に楽しそうに働いています。
1週間は、田布施町を知るための体験学習をしているようです。
(竹や木材のチップ作り、いちご農家の見学など)
2020年2月 3日 (月)
地域おこし協力隊員着任式
2020年1月31日 (金)
協力隊員到着
2020年1月14日 (火)
移住者
大分県の臼杵市へ東京から移住した友人から時々メールが来ます。
彼は76歳、元毎日新聞の外信部の記者、アフリカが長かったので、ボクがアフリカへ行き始めた頃、いろいろなことを教えてもらいました。
理由あって独り身になり、地方へ住みたいと聞いたとき、田布施に誘いましたが、臼杵の魅力に惹かれて負けました。
3ヶ月が過ぎました。
東京の月刊誌へ移住に関するエッセイの連載を始めたから読んで欲しいと3回分を送ってくれました。
楽しいエッセイでした。
そうだ、ボクも書いてみよう。来月から「地域おこし協力隊員」が来る。
彼の地域での活動と地域の人々の反応、山口新聞に企画書を書いてみようかな。
ちょと興奮した夜を過ごしています。
テレビでは、山口放送の若い女性ディレクターから取材をしたいと連絡がありました。
面白いドキュメンタリーが出来れば嬉しいと期待しているところです。
2020年1月 3日 (金)
ある人生
友人の山内誠一郎くん(54歳)は東京の浅草橋で鍼灸指圧の治療院「森の治療院」を経営しています。
業界誌に連載記事を14話書いて完結したので読んで欲しいとコピーを送ってきました。
長い記事なので、延び延びになっていて、今日やっと読みました。
激戦業界でいかにして生き残ってきたか、彼の人生観が滲んだいい記事でした。
感想文を書いたので明日投函します。
ボクは彼の生き方に共感を覚えるので、簡単に紹介します。
早稲田大学法学部卒業。テレビ業界にも興味があったようで、就職活動で、友だち数人とボクを訪ねてきたことがあります。
これが彼との出合いです。
テレビ局を受験したのかどうかは知りませんが、商社の日商岩井へ就職しました。
南米の特派員をやったり楽しそうでしたが⒋年で退社しました。
組織の中で、こき使われるだけで、いくら給料がよくても、これは自分の生き方ではない、と思ったようです。
次に何をしようか決めていたわけではなく、必死で次の職業を探したそうです。
探すテーマは「人が喜んでくれる職業」だったそうで、鍼灸指圧を目指すことにして、3年間専門学校へ通って免許を取得、開業に至ります。
このテーマは、樹木希林さんが晩年、生きるテーマにしていたこともあって、ボクの心に刺さります。
彼の夢は更に広がります。学生時代、世界を旅した事があるらしく、カンボジアに鍼灸指圧の専門家を養成する学校を建てたいという希望があるようです。職業を創出し、国民の健康にも奉仕するというプランです。
もう彼も若者ではなくなりましたが、まだ夢を追いかけている姿に刺激を受け、紹介しました。
「森の治療院」03-5687-4889
浅草橋駅の近くです。
HP
http://www.morinochiryoin.com
今日も晴天でした。家の周りの整理を少ししましたが、コタツに入って、彼の記事を読んだり、松島トモ子さんの「老老介護の幸せ」を読んだりしていました。体重増加を自分で感じます。ヤバイ。
膝の上の猫は1匹なら、このまま仕事を続けられます。
2020年1月 1日 (水)
謹賀新年
穏やかないい年であって欲しいと願います。地球温暖化は進行中で、自然災害が心配です。
ボクは、樹木希林さんが残した言葉「人が喜んでくれることが一番嬉しい」を、少しでも実践出来たらいいな、と思って新年を迎えました。
今年の年賀状です。中村みつをさんが描いてくれました。
中村さんはネズミが大嫌いで、描きたくなかったそうですが、楽器を持たせたら「なんとかなった(可愛くなった)」と。
2月から、地域おこし協力隊員に合格した青年(田村陽平くん)が田布施にやって来て、ボクの家へ寄宿し、活動を始めます。
田舎でカフェをやりたいという本人の希望と起業して欲しいという町の希望が合致しました。仲を取り持ったボクが一番ドキドキしているのかも知れません。ブルーベリー農園の後継者としても期待しているので、頑張ってサポートします。
朝日新聞に嬉しいニュース。
「朝日賞」(朝日新聞文化財団から、学術・芸術などで傑出した業績を残された方へ贈られる)に、写真家の田沼武能さんが選ばれました。
(特別賞)
昨年、ご本人から連絡があって、今月29日の授賞式に出席して欲しいと言われていますので、予定に入れています。
文化勲章に続く慶事。嬉しいです。90歳の現役カメラマン。ご自分の作品発表以外に、写真家の地位向上に努力されたことが評価されています。
例えば、写真の著作権の保護期間。「公表後10年」だったのを「作者の死後50年」と、他の著作物と同じにする法改正を求める運動の先頭に立って、ついに獲得、更に70年に延長されました。
「私個人の慶事ではなく、写真家の仲間が喜んでくれているのが嬉しい」とコメント。
2019年12月24日 (火)
今日のこと
中村みつをさんと、久し振りに食事をしました。
楽し食事でした。3冊目の絵本を書きますと約束して、何年かが過ぎました。
来年こそは、と固い約束をして別れました。
田舎のネコはここにいます。
https://reonmanma.hatenadiary.com/entry/2019/12/24/195550
2019年12月 3日 (火)
冷えました
寒い一日でした。
ゴミ袋に大きくて入らない金属類を車いっぱい積み込んで、資源活用センターという所へ捨てに行きました。
落ち葉を焼きました。これが今日の仕事。
2月から地域おこし協力隊に合格した青年が、母親と2人でやって来るので、受け入れ準備を始めています。
持ち込む家具とその大きさを聞いたので、既存のモノを捨てたりして、置き場所を作っています。
お願いして来てもらうので、田布施の風土やボクの家を気に入ってもらい、長く住み続けて欲しいと願っています。
朝日新聞夕刊の「素粒子」
書き手が代わったのか、首相を揶揄しているのですが、なんだか表現が直接的で、ネットでの素人の表現のようで、センスがなく楽しくありません。
2019年11月26日 (火)
今日のこと
中村みつをさんの個展を見てきました。
30点の新作、よく頑張ったなぁと感心しました。
昔、インタビューを専門にしているジャーナリスト・沖中幸太郎さんにインタビューされた記事が
彼が作ったhttps://xpress.jpというサイトにアップされています。暇なとき、覗いて見てください。
https://xpress.jp/xpeople/interview_hontonostory/interview_tagawaichiro/
2019年11月14日 (木)
レセプション(ユニセフ)
ユニセフ東京事務所とユニセフ議員連盟主催のレセプションに招待されて行ってきました。(霞ヶ関プラザホール)
子どもの権利条約採択30周年
日本ーUNICEFパートナーシップ70周年
黒柳徹子UNICEF親善大使就任35周年
「1人の子どもも、取り残されることがない世界」の実現に頑張ろうと皆さんが決意を表明。
黒柳徹子さんは100歳までは頑張りますと挨拶していました。
田沼武能さんと会いました。
95歳くらいまでは行けそうな気がするけど、
あの人(黒柳さん)には、ついていけないよ、と苦笑。
(余談)
赤旗日曜版の編集長・山本豊彦さんに会いました。
「桜を見る会」の問題は、赤旗日曜版の記事がきっかけになりました。
テレながら嬉しそうでした。
2019年11月10日 (日)
樹木希林余話
昨日、希林さん関連の資料の整理をしていて思い出した事があるので記憶のために書いておきます。
1)朝日新聞の1面に毎日掲載されている「折々のことば」が大好きでした。
大岡信さんの担当の頃でした。これが、短くて人の心に刺さる言葉を紡いだ源流ではないかと思っています。
2)2008年 紫綬褒章を受賞します。
この時に発した言葉です。
「なぜ、桃井かおりの方が、私より早いの?」
桃井かおりさんは前年度に受賞していました。これには、納得しないようで、何回も聞きました。
芸歴からいって格段の差があるのに。選考基準に対する批判です。
3)2013年 全身ガンを発表しました。
アカデミー賞かなにかの発表の席でした。突然の発表に、会場は凍り付きました。
希林さんは思いました。
「このままだと、明日のスポーツ紙の1面は、賞をもらった若い女優に独占される」
面白がる性格がうずきました。よし、全身ガンを発表しようと。
企ては見事に的中。賞のニュースはぶっ飛び、「樹木希林全身ガン」が1面を飾り(?)ました。
2019年10月29日 (火)
緒方貞子さんのこと
黒柳徹子さんをユニセフ親善大使に推薦されたのが緒方貞子さんだったので、早くからお名前は存じ上げていました。
国連の難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップになられて、数々の功績を残されましたが、最も記憶に残る改革は、以下の事でした。
難民(Refugee)とは国境を超えて他国へ流入した人々のことを言います。なので、国内に留まっている人々は国内避難民(Internal Displaced People)と呼ばれ、国連の援助の対象にはなりませんでした。緒方さんは言いました。「両者も平等に援助すべきです」と。
その後、国際援助は、国内避難民にも難民にも平等に行われるようになりました。
退任の記者会見で記者が質問しました。
「人間にとって何が一番大切なことですか?」
緒方さんは即座に答えました。
「Respectです」
難民も国内避難民も平等に助ける、これは、人間の尊厳に対する敬意の表れです。
ボクの心に深く刻み込まれています。
台風19号の時、ホームレスを避難所に入ることを拒否した台東区の職員に腹が立ったのも、
彼らが人間の尊厳を踏みにじったからです。
お会いしたことはありませんでしたが、人間としての生き方を教えて頂いたと感謝しています。
ご冥福を心よりお祈りします。
2019年10月 2日 (水)
緒方孝市監督辞任
朝日新聞の解説に「8月末に選手を殴って求心力を失った」とあります。
自国民に向けて実弾を発射した香港警察と同じです。
選手も白け、やる気を失ったと思うし、ファンも落胆しました。
辞任会見は4分間、質問ナシで終了したそうです。
飛ぶ鳥、跡を濁した、感じの悪いシーズンでした。
2019年10月 1日 (火)
広島カープ
残念な結果になりました。
緒方監督辞任、ホッとしました。
野間選手を殴った事件から、こりゃダメだ、人間失格だ、交代して欲しい、と思っていたので、
溜飲が下がりました。
新監督の下で、頑張って欲しい。
2019年9月20日 (金)
ポカはどちら?
福岡で自費で「かわら誌」というエッセイ集を出している友人から、7月に書面で原稿を依頼したが、締め切りの今日になっても届かないとのメール。
全く記憶にない事柄に驚き、24日まで締め切りを延ばしてもらって、今晩書き始めました。
ボクらの年齢になると、どちらの言い分が正しいのか分りませんが、一応、ボクが謝りました。
友人の方が、出したつもりで、出していなかったのかもと思いつつ。
2019年9月16日 (月)
樹木希林さん一周忌
昨日、15日が一周忌でした。
「東京へ帰っても希林さんはいないしなぁ」と、頻繁に会っていたわけではありませんが、ボクにとっての東京は寂しくなりました。
「一周忌によせて」という小文を書きました。
サライのWeb版とYahooニュースに掲載されています。
https://serai.jp/hobby/378482 (サライ)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190915-00010003-seraijp-life(ヤフーニュース)
2019年9月 6日 (金)
子どもたちが農園へ
2019年8月28日 (水)
人情報
ボクの家で3泊してコンサートをやった河野健次郎くんは、昨日千葉の自宅へ帰ったと連絡がありました。
能登半島を一周したそうです。無事でよかった。
田布施町の「地域おこし協力隊」へ応募していた田村陽平くんは、正式に合格したと役場から書類が届いたそうです。
1月から田布施町の住民になってケーキ作りを始めます。
2019年8月14日 (水)
感謝の夕べ音楽会
2019年7月25日 (木)
カープのガッカリ
緒方監督が野間選手を殴ったというニュース。
いろいろ事件があって、あれだけ暴力はイカンと言われ続けたのに、緒方監督にはガッカリ。
嫌いになった。
今日も勝っている。6連勝か。
2019年7月19日 (金)
ハゼロウ女子会
2019年7月18日 (木)
夏祭り
2019年7月 9日 (火)
民放連賞審査会
初日が終わりました。
東京から来た下重暁子さんと久し振り。3年先まで仕事(本の出版)が決まっているといっていました。
足立倫行さん(ドキュメンタリー作家)とも久し振り。
明日は、制作者が集まるので、講評をします。
もう一日、頑張ります。
2019年6月23日 (日)
来客(ベトナム人)
2019年6月10日 (月)
洋画展
田舎の友だち・主婦で画家の宮坂和枝さんの絵が国立新美術館(六本木)で入選展示されているからと連絡をもらい、
最終日の今日、見てきました。
「日洋会」というグループの展示でした。
「ママ友」と題が付いていました。動きが感じられる楽しい絵です。
田舎のネコはここにいます。
https://reonmanma.hatenadiary.com/entry/2019/06/10/195448
2019年6月 4日 (火)
旧友
写真の二人の女性は、8年前二人で田布施へ遊びに来て、ボクの家へ2泊しました。
ブルーベリーを摘んだり、秋吉台へ行ったりして遊びました。
当時は独身でしたが、二人とも結婚しています。
夫婦間に問題を抱えているらしく、大笑いしながら、聞きました。
左:椎名由紀くん 呼吸法の専門家になって大忙し。本の出版、講習会の講師、外国からも呼ばれて出かけています。
長野県の上田市に空き家を購入し、稲作もやっています。田布施に行ったのが影響していると言っていました。
右:本間ちひろくん 絵本作家、画家として大活躍。
何年かぶりで会いました。
「もう一度、田布施へ行く」と言っています。
大笑いしている写真ですが、笑いの原因はボクの服装です。
「これが80歳?」
腹がよじれるくらい笑われました。そんなに可笑しいかなぁ?
右の二人は、レストラン・エピス金子の金子さん夫婦。
田舎のネコはここにいます。
https://reonmanma.hatenadiary.com/entries/2017/01/00
2019年5月23日 (木)
今日も快晴
午前中、草刈り。午後、枯れ草の焼却など。
エルも、他の猫も来なかったので、家猫たちは平和な一日だった。
日中は夏日でも、朝は寒いので、郵便物を投函に行ったとき、灯油を10リッター買った。
国会議員の戦争発言、参院選の候補者の被差別部落発言、信じられない。
無知もここまでくると、恐ろしい。
2019年3月18日 (月)
内田裕也さん死去
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2019年2月23日 (土)
外出
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2019年2月14日 (木)
先輩後輩
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2019年2月10日 (日)
岩国空港
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2018年12月25日 (火)
日産事件
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2018年12月23日 (日)
島田洋七さんのこと
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2018年12月20日 (木)
今日の事
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2018年12月 8日 (土)
動画(フェイスブック)
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2018年12月 6日 (木)
外国人労働者
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2018年11月30日 (金)
丸選手
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2018年11月20日 (火)
樹木希林さんのこと
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2018年11月 5日 (月)
移民キャラバン
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2018年10月27日 (土)
ダルビッシュ有のコメント
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2018年10月16日 (火)
小説家
https://ja.wikipedia.org/wiki/井ノ部康之
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2018年10月15日 (月)
友と
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2018年10月 7日 (日)
楼蘭探検隊30周年
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2018年10月 2日 (火)
川田龍平くんのこと
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2018年9月30日 (日)
樹木希林さんの葬儀
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2018年9月27日 (木)
カープ優勝
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2018年9月18日 (火)
晴天
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2018年9月17日 (月)
考察・樹木希林
1)監督を育てた
「あん」も「万引き家族」も、樹木希林が出演しなかったら、これほど評判にはならなかったと思う。脚本を含めた監督の資質を見抜く力は抜群だった。だから、二人の監督は樹木希林に育てられたと言っていいと思う。
「来る仕事を順番にやってるだけよ」
ウソに決まっている。
2)CMが好きだった
チョコとの仕事でたくさんお金をもらえるからね。本音だったろう。もっと楽しんでいたことをボクは知っている。
「たった15秒で、世の中の雰囲気がジワーッと変わって行くのよ。コレは楽しいね。」
洋服の安売りをする店が銀座に出店するとき、銀座の商店街がこぞって反対した。銀座の雰囲気を壊すと。その店のCMに樹木希林と三浦友和が出た。安売り屋の雰囲気はじわーっと消えていった。
3)公共財
この人は、自分の事を「公共財」だと思っているのではないだろうかと、晩年の仕事ぶりを見ていて思いました。
チケットを買ってくれる大衆、商品を買ってくれる大衆、そのお金をいただいて生きている自分がいる。大衆が求めているのなら、命を使い切ろうと。
4)親子関係
「子育ては何もしかかった。皆様に育てていただきました」
口癖でした。しかし、也哉子はすくすくと素直に、素晴らしい女性に育ちました。
「親は子に何を伝えたか」
これをテーマに親子の対談をやりたいと伝えた事があります。いいともイヤとも返事はありませんでしたが、心残りの企画です。
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2018年9月16日 (日)
追悼・樹木希林さん
胸騒ぎがした日(15日)、希林さんは亡くなっていた。今日、娘の也哉子さんから電話をもらった。
「ボクは、おかあちゃん(也哉子の呼び方)が頑張っているから、自分も頑張ろうと思ってね、支えだったんだよ」
二人で泣いた。
也哉子が小学6年生の夏休み、親子でエジプトを旅する番組を作ったのが初めての出会いでした。以後、何本か仕事はしたが、つかず離れず、いい友だちでした。
モノを大切にする人でした。着るものでも、持ち物でも、最後まで使いきりました。ケチに見えたりしました。モノにも命があると思っているようでした。
こんなセリフを覚えています。
「自分の命も使い切って死にたい」
その通りでした。
不動産に興味があって、目利きで、財産を残しました。
同じように、映画監督などの制作者についても目利きでした。
「この人物は伸びる」と思ったら、ギャラが安くても協力しました。監督を育てた人でもありました。
あの世に不動産があるなら、ボクの住む場所を確保しておいて下さい。
この世では、お世話になりました。楽しかった。でも寂しい。
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2018年8月16日 (木)
樹木希林さん大腿骨骨折
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2018年8月 5日 (日)
客人
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2018年7月30日 (月)
作曲家
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2018年7月27日 (金)
美女軍団(摘み採り隊)
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2018年5月24日 (木)
卑怯者の会見
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2018年5月23日 (水)
イヤーな顔
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2018年5月17日 (木)
ニュース雑感
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2018年4月 2日 (月)
悪筆でも葉書の効用
「この道」下重暁子
一筋の煙が炎天に昇っていく。燃やされているのは、くすんだベージュ色に朱の罫(けい)のある同じ紙ばかり。小学校三年生の少女には、それが何を意味するのかわからなかった。ただ巨大なリュックサックから取り出されるその紙が、手品のようにいつまでもなくならない事が不思議であった。
リュックの横、芝生の上にかがんでいる男、無精ひげを生やし、面やつれした姿からはしばらくぶりに会うとはいえ、父とは想像し難い。
なだらかに池に向かって芝生は傾斜している。その向こうには、信貴山縁起絵巻(しんぎさんえんぎえまき)で名高い朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の数々の塔頭の瓦屋根を残して深い森が広がっている。
私たち親子、母、兄、私は参道の奥にある老舗旅館三楽荘(現在の信貴山観光ホテル=奈良県三郷町)の離れに疎開していたのだ。敗戦の日から十日ほどして、突然父がもどって来た。父は職業軍人であり、大阪府八尾市にあった陸軍の大正飛行場の責任者の一人であり、私達は縁故を辿っての疎開であった。
大阪大空襲をはじめ、敗戦前日八月十四日までの空襲で人々は都会を追われ、私達も柏原(大阪府)にあった将校住宅の前庭に掘った防空壕が危険になり、荷物ともども疎開したが、本館はすでに疎開の人々で埋まり、向かいの柿本家旅館は、陸軍病院として借り上げられ、どの旅館も店々にも各地からの疎開者があふれ、森の中の塔頭にも学童疎開の児童達の姿があった。
勢いよく炎が上がったかと思うとすぐに縮んで焼け跡をさらす紙の上へまた新たに数枚が加えられ父は無言のまま朱色の罫のある紙をていねいに夕暮れまで燃やし続けた。
私はその後姿を忘れない。カーキ色の軍服には大佐の襟章が色褪せて見えた。次の日もまた次の日も、三、四日にわたったであろうか。
煙は絶える事なく蒼空に吸い込まれた。赤とんぼが無数に舞っていた。朱い罫に縁取られた紙、それは軍の機密書類だったのである。(下重暁子=作家)
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2018年3月21日 (水)
言葉力
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2018年3月 9日 (金)
へつらい人間の末路
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2018年2月27日 (火)
今日のこと
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2018年2月26日 (月)
オリンピック選手団帰国
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2018年2月25日 (日)
笑顔・LS北見の選手たち
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2018年2月15日 (木)
松島トモ子さん
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2018年2月13日 (火)
オリンピック
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2018年2月 9日 (金)
アルマーニの制服
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2018年1月 6日 (土)
年賀状
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訃報
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2017年10月26日 (木)
今日のこと
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2017年9月 6日 (水)
今日のこと
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2017年9月 1日 (金)
来客
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2017年8月21日 (月)
客人帰る
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2017年5月14日 (日)
やさしい国
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2017年4月22日 (土)
同窓会
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2017年3月 7日 (火)
会食
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2017年2月 8日 (水)
イラスト散歩の反応
すごく特徴とらえていただきありがとうございました。
また、美人軍団!にやけてました。いい記念だねぇといってましたよ。
ありがとうございました。
美女軍団‼️イラストも よく似ていますね〜私だって わかります。いい記念になりました…ありがとうございます。
ありがとうございます。
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2017年2月 7日 (火)
住所録
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2017年1月11日 (水)
トランプの精神分析
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2016年12月 9日 (金)
山口へ
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2016年12月 8日 (木)
ご親切ふたつ
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2016年11月14日 (月)
登山隊
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2016年11月11日 (金)
批判上手
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2016年11月10日 (木)
友だち
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2016年10月15日 (土)
特報!
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2016年9月27日 (火)
ボランティア
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2016年9月16日 (金)
頑張る人々
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2016年8月 9日 (火)
8月9日
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2016年7月22日 (金)
今時の大学生
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2016年7月13日 (水)
マニュアル言葉
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2016年6月22日 (水)
鳩山邦夫さん死去
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2016年6月16日 (木)
ニュースから
舛添都知事の辞任を報じたニューヨークタイムズの記事の一部です。
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2016年6月 3日 (金)
少年発見
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2016年6月 1日 (水)
不明の少年(北海道)
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ウソつく人々
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2016年5月 8日 (日)
スポーツ用語
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2016年5月 2日 (月)
面談効果
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寄付について
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2016年4月29日 (金)
独り言
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2016年4月28日 (木)
チャリティー イラスト展
「東日本大震災被災地支援チャリティー展」
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2016年3月12日 (土)
芸術選奨
新人賞 |
佐々木 聰 |
ディレクター |
「奥底の悲しみ~戦後70年、引揚げ者の記憶~」の成果 |
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2016年2月27日 (土)
同窓会
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2016年2月14日 (日)
春でした
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2016年2月 3日 (水)
清原和博逮捕
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2016年1月24日 (日)
スポーツ
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2016年1月13日 (水)
最終バス
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2015年12月15日 (火)
アスリートの言語能力
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